朝のうん活

某活、やる気なかったが案外いけるのではという疑惑が出てきたのでちょっとやる気出てきたが、人と会って話さなければならないので、実際よりもちょっとだけ見栄えがする人物を錬成する必要がある。
しかしちょっとやる気出すなら初めからやる気出しておけばよかった。初めって10年前くらいね。

9マス将棋(1)

青野九段考案の9マス将棋について少し考えてみよう。*1

ルールは、まだ入手してないので分からない点もあるが、まさに最初からクライマックス プロ棋士考案の「9マス将棋」、スタッフと対局してみた - ねとらぼによれば
駒の動きは通常と同じで、使用する駒は通常のセットのサブセット、初期配置はいくつか固定されたものが提案されている。
「成り」は3段目から成れるのではなく1段目で成ること以外は通常と同じか。
行きどころなき駒、打ち歩詰め、手詰まりなどについて分からないが、とりあえず今日のところは、(チェスではなく)将棋と同じように「手番で指す手の選択肢がなくなった方は負け」とだけ仮定する。

棋譜の読み方は右上を1一として(以降は簡単のために漢数字を使わず単に算用数字を2つ並べることにする)、通常の将棋と同じように、列が動くと第1成分が動き、行が動くと第2成分が動くとする。

命題1
盤上には互いの王将2枚だけで、こちらだけが1枚以上持ち駒を持っている状況は手番に関わらずこちらの勝ち。
証明
以下、一般性を失わずに「こちら」は先手(「この局面で」ではなく、ゲームが始まった時に)だとしてよい。
以下、先手が命題の仮定の状況を崩さず(=持ち駒を渡さず)に勝つことができることを証明する。
補題でも、命題の仮定が満たされているものとする。
補題1
先手が王手をかけられることはない。
補題1証明
明らか。
補題2
12または32に先手玉がいたら手番に関わらず先手の勝ち。
補題2証明
先手の手番だとして一般性を失わない。
補題1より先手に王手はかかっていない。
先手の持ち駒に前に進めるものがあれば、22◯打→21◯成→22△(△は◯が成った駒)→23△という手順を指すことができる。この間、先手は王手をかけられることはないから確かにこの手順を指せる(前に行ける駒が成った時、その駒の利きは金の利きを含むことに注意)。この手順の途中で後手に合法手がない状況が生まれていれば、その時点で勝ち。
そうでなければ、22△の次、後手は13玉と指すしかない。(ついでに言えばこの△は金と同じ動きの駒)
このとき、次の23△で後手玉は詰み。
次に、先手の持ち駒に角があるとき。
22角打→n1角成(ただし、nは先手玉がいる筋)→22馬という手順を進めることができ、この手順の途中か最後で後手は合法手がない状態になる(詰みを含む)。
最後に、先手の持ち駒に桂があるとき。
23桂打→n1桂成(ただし、nは先手玉がいる筋)→21成桂→22成桂→23成桂
という手順を指すことができ、この手順の途中か最後で後手は合法手がない状態になる。

12または32のマスのことを、チェスの用語に倣って*2クリティカルスクエアと呼ぶことにする。
先手が持ち駒を使わずに12または32に行けない局面は、先手玉がnk, 後手玉がnm(ただし、n=1, 2, 3, k,m∈{1,3}, k≠m)にあって、先手の手番という場合だけである。つまり、同じ筋で向かい合っている先手の手番の局面。
このような玉が同じ筋で1つマス目を挟んで位置する状態をこれまたチェスに倣ってオポジションと呼ぶことにする。(11と33のように、斜めで向かい合う形もチェスではdiagonal oppositionなどというが、この盤は狭すぎるので、とりあえずは同じ筋にある場合のみを指すことにする)
手番が先手、というのは、もし後手の手番だったら、先手はオポジションを保つように指すことで、2筋のオポジションで後手の手番の局面にすることができるが、この局面で後手はツークツワンクに陥っており、玉を1筋に動かしたら3筋の、3筋に動かしたら1筋のクリティカルスクエアをとることができ、勝つことができるから。

(i)先手が3段目、後手が1段目にある場合
今まで述べてきたことより、先手が3段目で玉を左右に動かしたら、後手はそれに追随して1段目で同じ筋に玉を動かすしかない。よって、先手13玉、後手11玉で手番先手の形にすることができる。
このとき、先手が前に進む駒を持っていたら、22にその駒を打って後手は手詰まり。
また、角なら32、桂なら33に打てばやはり手詰まりで勝てる。
(ii)先手が1段目、後手が3段目にある場合
(i)と同様に、後手は先手が玉を動かす手に呼応して同じ筋に玉を動かすしかない。
先手の持ち駒が角のとき、先手11玉、後手13玉の形で12角と打てばよい。
先手の持ち駒が前に進める場合、先手11玉、後手13玉の形で32◯→21玉→31◯成→32△(△は◯が成った駒)→22△で、まだ先手が勝ってなかったら玉を左右に動かして後手は13玉か33玉の形で、手詰まり。
先手の持ち駒が桂のとき、先手11玉、後手13玉の形で33桂→21桂成→22成香以下前に進める駒の場合と同様に勝ち。
以上より命題1は示された。

クリティカルスクエアを押さえれば勝ちじゃん、と思ったが、オポジションで手番を取らされるパターンがあったのでその場合の場合分けが少し面倒だった。今回はとりあえずこれだけ。

*1:と言っても、「考えてみよう」という読者に語りかける調子で緻密に用意された原稿が出てくるわけではなく、本当に「考えてみよう」というノリで考えてみるだけだ。

*2:僕が勉強したPandolfiniの本にしたがって

中室牧子『「学力」の経済学』

表題の本読み。

概ね、前半は教育経済学の成果のやや雑多な紹介、後半はエビデンスに基づく教育政策決定の擁護。
後半に関しては、全く以っておっしゃる通り。
ただ、同時に、日本ではなかなか理解を得るために苦労しそうだなという気も遺憾ながらする。

前半については、いろいろ興味深かった。
子どもを「ご褒美で釣る」のは効果的だ、とか。
勉強時間を増やすためには、単に「勉強しろ」と言うだけではなく、「時間を決めてやらせる」「勉強を見る」などより積極的なコミットが効果的、ということなどは、バイトでも役に立ちそうだ。

「非認知能力」の重要性については、読んでいて大変つらい思いをさせられた。
曰く、

どんなに勉強ができても、自己管理ができず、やる気がなくて、まじめさに欠け、コミュニケーション能力が低い人が社会で活躍できるはずはありません

中室牧子『「学力」の経済学』p.88より

こういうレトリックって、「全部当てはまる人はほとんどいないから自分のことだと思ってショックを受ける人はいないだろう」と思って書いているのだろうけど、全部当てはまる人はどうすればいいのか。
だいたい、自己管理とやる気とまじめさって独立変数じゃないでしょ。

ところでこの手の表現は別の本でも見た。

内向的で、神経質で、偏狭で、利己的で、頼りにならないという哀れな人がそうなった原因の一部は、おそらく遺伝子にある。

スティーブン・ピンカー著 山下篤子訳『人間の本性を考える(上)』
まぁ、こちらはさすがに全部ぴったり当てはまるわ〜とまでは思わないが、「哀れな」とまで言われるのか…と思う。

閑話休題

先ほども言ったように、前半は必ずしも何かのテーマについてまとまって述べているわけではないので、例えばこの「非認知能力」を「鍛える」方法についても、数行言及されているだけ(「自制心」を鍛えるためには、自ら計画を立て記録することが効果があるとのこと)。
それについて詳しく知りたければ他の本を当たる必要があるだろう。

また、色々な論文の成果を紹介するという形式で、まとまった論考ではないので、全体として統一感に欠けるところもある。
例えば、p.88では、プリンストン大学のボーウェン教授の見解としてだが、「SATの成績は認知能力のみを表す」としているが、p.91では非認知能力の一つである自制心がある子どもはのちに「SATのスコアがずっと高かった」ことを紹介しており、(むろん整合的に解釈する方法はいくらでもあるだろうが)素朴に考えれば違うことが述べられているが説明もない。

これは別に著者の責任ではないかもしれないが、p.95に紹介されている神戸大学の西村教授らの「しつけ」は年収を高める効果があるという研究*1は、素朴に考えれば、「しつけ」が年収を高めたのではなく、教育熱心な親の(しつけ以外の)文化資本や遺伝子が、しつけをすることと子どもの高い年収両方に共通する原因ということも考えられると思うのだが、論文を眺めてみても統計弱者ゆえそのバイアスが取り除かれているのかはわからなかった。今後ちゃんと論文を読みたい。

(追記)
僕の感覚が世間の物価上昇について行ってないだけかもしれないが、この本の新書程度の内容で1600円は高いと思う。
せめて1200円くらい。

「学力」の経済学

「学力」の経済学

*1:西村和雄・平田純一・八木匡・浦坂純子「基本的モラルと社会的成功」http://www.rieti.go.jp/jp/publications/summary/14020005.html

ある種の時間区分

3時間くらいコーヒーでも飲みながら「ならし運転」してから、次の1時間でそれまでの3時間にした以上の仕事をする、という感じのリズムはなかなか良いのではないかと思ったが、その3時間を世間では「午前」と呼ぶのでは、ということに思い至った。

習慣

はあ、年初から意識を失っているうちに5月が終わった気がする。
1日1時間くらいは意識保ちたい。

家庭教師のバイトは人生で2人目の生徒であり、色々と試行錯誤をしてるわけだが、やはり自分で勉強する習慣をつけさせるというのが一番重要でかつ効果が高い、というか、その習慣がない生徒に対しては他のことをいくらやっても無駄くらいに思われる。
しかしそのような勉強の習慣をつけさせるような指導の力は、よく言われているように、教師側の学力・学歴に比例するわけでは明らかにない。であるから、たまたま僕は学力そこそこあるが、そのことが直ちに僕がいい教師であることを意味するわけではない、残念ながら。
とは言え、学力が高い教師「ほど」勉強の習慣をつけさせる指導が苦手だ、などという馬鹿な話は、当然ながらないと思うのでがんばりたい。
しかれど、教育などということに関して素人であるバイトにそんなに期待されても困るし、実際のところ、特に工夫せずただ漫然と聞かれたことだけ答えているだけでも、その高い学力ゆえ、おそらくこの家庭教師センターに登録している教師の平均よりは仕事をしているし、給与分は仕事をしているということにはなるのではないかと推測する。
なのだが、やる以上は意味のあることをやりたいので、できる限りのことはやりたいし、正直申しまして、勉強する習慣などというものは、こちとら教えるどころか自分につけさせたいくらいの人間なので、それを教えようとすることで、自分自身をも教育するということを目指したい。

GAME ON

日本科学未来館で行われている、「GAME ON〜ゲームってなんでおもしろい?」に開催最終日に滑り込みで行ってきた。

その副題と開催場所からして、「ゲームとは何か、なぜゲームは私たちを夢中にさせるのか、ということに関して体験的な展示を通じて迫る企画展です。期間中には現役のゲームクリエイターが指導し、来場者自身でゲームを作成するワークショップも開かれます」というような内容を想像していたが、ただの古今のゲーム珍品館だったのでややがっかり。
ただ、いくつかは興味深い点もあった。

PLAYSTATION VRでRez Infiniteをプレイした。
よくVRに関して没入感などと言われるが、没入感と言うと、映像に過ぎないと知っていて「本当にゲームの世界にいるみたい!」という感覚、「没入」とか言っちゃってる時点でリアルとは区別された体験だと自覚しているという感じがするが、今回体験したPLAYSTATION VRでは、夢の世界を受け入れるように、「あ、今こういう世界にいるんだ」と違和感なくすっと入れるという感じ。
なかなか心地いい体験だった。
勢いよく後ろを振り向いたら慣性でヘッドセットがずれそうになった以外は違和感は感じなかった。
係りのお姉さんに「お上手でしたよ」と褒められたのがうれしかったです。(こなみかん)

学校が休みだったから(?)か*1、小学生が多かったのだが、展示されていたPONGの対戦で何組かの小学生の男の子とお母さんの対戦を見ていたところ、大抵子どもはパドルをうまく制御できずお母さんが勝っていたのを見て、「お母さんは本当はゲームがうまい」とか政治的なことを思うなど。しかし今どきそんなことわざわざ言わなくてもみんなスマホでゲームやってるか。

神谷英樹がこだわっている『アフターバーナー』の実物が見れてよかった。
やってみたかったが、あの「乗り物に乗る感」が恥ずかしかったのでやらず。

ワンダと巨像』が「歴史に名を刻んだかつての名作ゲーム」として"belongs in a museum"であって、実際、そのグラフィックのレベルからしても*2「歴史上のゲーム」にしか見えなかったのがショックだった。
というのは、ICOが発売されたのを聞いて「あ、そういうゲームが発売されたんだ、「面白そうだなーやりたいなー」と思ったのが個人的時代区分の中で「最近」の1個前の「ちょっと昔」という認識で、『ワンダと巨像』に関しては、『ICO』より最近に出た「最近のゲーム」という認識だったが、その『ワンダと巨像』が11年前、『ICO』が15年前のゲームだったから。
まぁPS系列のゲームハードを今まで1個も買ったことがないので、PSで出るゲームは全部「あ、何かの機会でやれるかなー」と思うにとどまり、積極的に関わってこなかったということもある。
積極的に関わろうとしていない物事に関する年月は早く過ぎるのは、親戚の子どもがあっという間に大きくなるのと同じだ。

どこでもいっしょ』には女児が、『鉄騎』にはオタクが、『DDR』にはリア充が、並んでいたりして、各ゲームのプレイヤー層としてだいたいイメージ通りの人たちが試遊台の列に並んでいたのは、抽象的な「プレイヤー層」なるもののembodiment、あるいはタイプのトークンという感じがして面白かった。
昔のゲームのインターフェースの分かりづらさや操作のしづらさ(試遊台でプレイ方法がちんぷんかんぷんなままプレイせざるをえなかったからかもしれないが)は、ゲームの進歩を感じさせられた。SFC版の『ポピュラス』とか一度プレイしてみたかったので触ったが、全く操作方法が分からなかった。

*1:どこかで誰かが「学校が休み」だと言っていたのが聞こえた気がしたが、違うかもしれない

*2:むろん、ここでグラフィックの質について言及しているのは単なる年代を示す特徴としてであって、それによって優劣を判断する意味ではない

評価可能性・都会的

ということでちゃんとどうでもいい日記を書きます。

批判する対象がどんなことをしようが、絶対に評価することはなく、常に批判しかしない、という態度は、合理的で一貫的な態度にはなりえない。一貫した態度でありうるためには、せめて論理的可能性としては評価する可能性が残っていなくてはならない。

朝ドラの『とと姉ちゃん』で、常子が新たに配属された会社の浄書室の面々、都会的でかっこいい。
特に真野ちゃん
ただ、僕の一番のお気に入りは女学校の同級生の中田綾(役名)さん。
凛としていて素晴らしい。