先日は新月お茶の会米澤穂信特集の座談会であった。
座談会初参加だったが、言いたかったことは大体言えたので満足。
米澤作品の青春小説という面についてもう少し迫れればよかった。
だいたい、「青春」「青春」と10回くらい座談会中に言ったけど、今冷静になってみるとはて、これって青春か?という気になってくる。
うーんそんな気もするしそうでない気もするなあ。


というか、小説を分析的に考えようとすると、その作品が面白いのか面白くないのか、評価できるのかできないのかわからなくなるなあ。
言い換えると、理屈で考えようとすると、その小説に感じた印象がどこかに離れていってしまって、空疎な言葉だけの思考になってしまうというか。
数学にしろ文学にしろ僕は初めに直観ありきで、その直観を言葉にすることが多く、直観的な理解の伴わない議論は空疎なものとしか感じられないんだよね。
読んだ米澤作品で言えば、氷菓はつまらない、愚者のエンドロールは面白い、春期限定いちごタルト事件はつまらない、夏期限定トロピカルパフェ事件は面白い、ボトルネックは面白い、という感じ。
それで氷菓について、「無駄な労力を使うことを嫌う主人公が周りの仲間に巻き込まれていくうちに、無駄なことも楽しいかな、ということに気づく、という意味で主人公の成長が、(キャラクター的だが)楽しい仲間とともに読みやすい筆致で描かれており、評価できる」というふうなことを頭で考えてもみるのだが、どうもしっくりこないんだよね。
ほめたりけなしたりはどんな作品でも言葉の上では簡単にできると思うし。


まあ評論も読んだこともないのに言ってるんですが。






閑話休題で座談会の話。


僕のリファレンスできる作品の数(オタクの特徴のひとつはこれが多いことかと)が多くなくて恥ずかしいけどこれは多分解消されないだろうと思う。
愚者のエンドロールの副題"Why didn't she ask EBA?"のEBAって何だろう?というアホな疑問を抱いていたのだが解消された。


あといーちゃんみたいな無関心キャラは従来の探偵に対するアンチテーゼだというのは気がつかなかった(常識?)。


余談だが座談会を読むときは、全体を発言の順番に読む「読者式」読み方と、ある発言者の発言だけを順に追っていく「作者式」読み方の両方をすると面白いと思う。
特に「作者式」によって、その人の発言の傾向みたいなものが見えてくる。