http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/ne_06101301.htm

産院取り違えで都に2000万円賠償命令、福岡の男性が逆転勝訴
 DNA鑑定の結果、育ててくれた夫婦が本当の親ではないと分かった福岡市の自営業の男性(48)と育てた夫婦が、「出生後に産院のミスで取り違えられた」として、産院を経営していた東京都に3億円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が12日、東京高裁であった。


(中略)


 判決は、「産院は男性の本当の両親や夫婦と、新生児を取り違えずに引き渡す契約を結んでいたが、その契約に違反した」と指摘。その上で、契約不履行を理由にした損害賠償の時効(10年)の始まりを、「男性が血液検査で、親子関係がない疑いを深めた97年10月」として、時効は成立していないと判断し、都に慰謝料の支払いを命じた。

まあこういうニュースがあったわけですが、僕はこの判決はおかしいんじゃないかと思いました。
時効は成立していないとする判断は素人目にはこじつけのような気もするけど、これはまあ法律の解釈はよく知らないので置いておくとしても、子どもの取り違えが産院で行われたとは証明できないんじゃないかと思われたからです。
産院を退院したあとにも子どもを取り違えうる機会があったかもしれないし、その可能性を否定するのは、既に昔の話になっているゆえに不可能だと思われたからです。


という話を、法律に関係なくはない仕事をしている父親に話したら、「裁判というのは、数学の証明ではないのであって、いちばん常識的で妥当だと思われる可能性をとるのだ」ということを言われ、確かに至極真っ当な理屈だなあと思いました。
そうしないと判断がつかないことが世の中には多すぎますからね。
犯人を一意に絞る条件があることなんて、現実だとほとんどないでしょうし。


しかし、そうなると、裁判がたまにミスをすることがあるというのは避けられないということですね。
これも当たり前なことですが。
妥当な判断というのは、99パーセントで当たるかもしれないけど、それでも10000回に100回くらいは外れるわけですからね。
まあ、三審制とか刑事補償法とかは、「裁判が時々誤ることがある」ということを前提にしているからこそ存在するわけでしょうが。
間違う確率が10パーセントでも3回とも間違える可能性は0.1パーセントになるわけですからね。