2007年7月10日読売新聞朝刊の投稿欄「気流」に、「個人情報の保護 過剰反応で不便」と題して以下のような投稿があった。

(前略)


この法律の本来の目的は、個人情報を不正に利用したり、漏えいしたりすることを防ぐことだったはずだ。
住民が生活に必要と思う会員名簿にさえ、電話番号を載せないような過剰反応は健全とは言えない。法の見直しも必要だと思う。

前略の部分には、老人会の会員名簿に電話番号が載らなくなって不便という話が書かれていた。


さて、この意見についてだが、この事例が「過剰反応」かどうかは置いておくとして、法を批判する根拠はおかしいと思う。


この人が言っていることは、「不正利用を防ぐための法なのに、住民が必要に思うことを制限するのはおかしい」ということである。
しかし、不正利用を防ぐための法が住民が必要だと思うことを制限することは正当化されうる。


なぜなら、「住民が必要だと思うこと」も、不正利用などにつながる危険があるからである。
例えば、以下のような事例を考えよう。
医師になるためには免許が必要である。
ある人物Tは医師免許は持っていないが、色々な医学書を読んで勉強し、十分な医学の知識を持っていると自負している。
そこでTはある無医村Sで医師業を開業する。
勉強の甲斐あって、Tは村人の健康を守り、村人からも感謝される。
しかし、Tは無免許で医師を開業していたということで逮捕される。
Tは言う、「私は十分な知識を持っており、医師としての資格があると言える。現に、村人からも感謝されているし、無医村であるS村の村人は私を必要としている」と。
しかし、Tは医師法違反で罰せられなければならない。
Tは言う、「なぜだ、住民は私を必要としているのだ。医師免許というのは、医師の名に値しない輩を取り締まるためにあるのではないのか。私には医師としての能力がある」と。
しかし、もし私が警察官だったとして、彼に言う台詞は、「Tさん、それが法律なんですよ」だ。
彼は確かに有能な医師かもしれないが、法律では免許をとらなければいけないことになっているのだ。
仮に、彼が無免許でやっていた医療行為が免許を持っている医師と全く同じものであったとしても、能力が十分でない者による医療行為を禁止するための医師法の規定によって、彼の行為は禁止されている。


つまり、法律は、ある行為を取り締まるために、問題のないと考えられる行為をも制限することはあり、また、これは当然のことである。


いわば、女性専用車両みたいなものだ。
あれは女性に対する痴漢行為を防止するための処置だろうが、実際のところ男性の乗客のほとんどは痴漢をしないにもかかわらず、ある種の不利益をこうむるわけだ。


「私のやっていることは必要なことですよ、健全なことですよ、良いことですよ」ということは、その禁止する法律の対象外であることの理由には全くならない。


というわけで、「会員名簿に電話番号を載せることは、住民が生活に必要と思うことだから、それをも取り締まるのはおかしい」という主張は成立しない。




誤解を避けるために言っておくと、私は名簿に電話番号を載せないのが当然である、と言っているわけではない(利用目的を明示して本人の同意を得れば載せてもいいわけで)。






それにしても、読売新聞は『「匿名社会」に反対する』というキャンペーンを少し前からいろいろな形で継続的にやっているけど、これには違和感を覚える。


マスコミこそ、匿名性が本質的なのではないか。


例えば、新聞記事の多くは匿名だ。
また、日本のマスコミが報道の基本的な権利として大事にしている「取材源の秘匿」、これもまさに匿名的ではないのか。
実際、全ての記事が顕名だったら、脅迫やら圧力やらが怖くて記事が書けないのでは。




これも一応言っておくが、マスコミが匿名的なのはけしからん、と言っているわけではない。