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今日見た映画:『プリティ・ウーマン
いやーいいわこういうの。
・一番面白かったシーンは、ブティックでエドワードが(ご機嫌取りはどうするかと聞かれて)「露骨に」と答えるシーン。
・あと、一番萌えたシーンは2人で風呂に入ってて「〜センチの脚でセラピー云々」のシーン。
・一番抜いたシーン(註:抜いてません)は、例のピアノのシーン。
あれはエロい。
・ウエストサイドストーリー的なボーイズが、果たして銃ひとつで手を出さないのか?という疑問が生じた。
てかあのシーン個人的にはいらないと思う。
・まあなんだかんだ言って金だよね、っていうのはある。金がなければなんか例の悪い男に使われ薬づけにされて殺されるという結末が見えるわけだし。
金があって初めて高校にも行けたし、あの境遇を脱出できた。
しかし、まあ、たしかに現実はそう(金がいる)なので(親のすねをかじる引きこもりなので推測の域を出ないが)、そこらへんは正しいのか。
アメリカ的とも言えるのか。
・最終的にはヴィヴィアンはサンフランシスコで高校を卒業しなおす、ということだった。
教育は人を自由にするのか。
僕は中高一貫校に行ったこともあって、周りの人たちは当然(確か)全員高校に進学したし、大学進学もほとんど当然とみなされているけど、2年半以上前の某日に書いた日記(ここでは特にreferしないけど)に書いた某女子高生と話したとき、大学に行けばいいのに、と思って暗に大学行けば、というようなことを言ったら「それは大学行けってコトですか?」と、まあ大学行くという選択肢は普通にありえないよ、的なニュアンスで返されて、カルチャーショックを受けた。
そういう意味で自分がエドワードだったら、今の僕の考えでは軽々に「高校を卒業せよ」とは言わないと思うが、しかし「高校を卒業しとけ」ってのが実際は有益なアドバイスなんでしょうね、やはり。
とは言え、この場合の「卒業しとけ」と薦められる高校・大学、というのは、まさに「学歴」/certificadoとしての高校・大学であり、学校とか大学とか、学ぶために行くもんだろ、と思っている(『と思っている』)僕としては、またもや複雑な感じにならざるを得ない。
で、さらに複雑なことには、僕の行ってる東大は日本においてはcertificado的意味合いをすごく強く持っているので、また、僕の行ってた中学/高校もその意味合いが結構強いところなので、世間からの反発を避けるための処世術としての「学校とか大学とか、学ぶために行くもんだろ、と思っている」という態度かもしれない。冷静に自己分析すれば。
ただまあうちの母親によれば(引きこもりなので参考にする大人が親しかいなくて申し訳ない。昔保健体育の教科書かなんかで「成長にともなう社会(その人がinvolvedなところの)の拡大」というような図が載っていたけれど、齢20にして未だに「親+学校」レベル)、certificadoとしての学校のように思われても、やはり「卒業するのと卒業しないのでは、何かが違う」ということをよく言うので、やはり何かいいことがあるのかもしれない。
うちの母親は、高校時代、大学に進学しようと思っていたけど、直前になって父親(僕の祖父)から「女に教育は必要ない」的なことを言われて進学を断念し短大に行った。
まあ30年前の地方はそういう世界だったのだろう(ってか別に現代の東京でも、直接は言わなくても同じような考えはやはりどこかにあるだろうと思われる)。
その当人が言うのだから、やはり卒業するのと卒業しないのでは何かが違うのかもしれない。
ちなみに、その母は今、大学の通信制の学生である。マザコン的な話はこれで終わり。
・ちなみに、字幕版で見た。結構もとの台詞と違うんじゃないかなあ、という字幕も多かった。やはりもっと英語ができるようにならなければ。
エドワードが「最終学歴は?」と聞かれて「大学院」と答えるシーンがあったが、たしか"All the way"とか言っていた。MBAとかなんでしょうかね。よく知らんけど。
あと、ヴィヴィアンのルームメイトのキットが「今までに奇跡を起こしたフッカーの名」を挙げるところで、字幕は単に「シンデレラ」となってたけど、'Cinde"fucking"rella'って言ってたね。このギャグでヴィヴィアンとキットが笑ってたけど、こういうセンスはアメリカ的でいいな。
・ディレクターズカット版だったからかどうかは知らないが、ヴィヴィアンの乳首が見えているシーンがあった。
「あれ、こんな形のいい乳だったかな?」と疑問に思ったのだが、wikipediaによれば、「劇中で見事なボディを披露しているジュリア・ロバーツだが、実際はボディダブル。」とのことなので、あのシーンはジュリア・ロバーツじゃなかったのかも。
明らかに違ったしね。乳が。
・ホテルの支配人がいい味を出していて、これぞ名脇役という感じだった。
この映画には、エドワードのような裕福な人たちに一流のサービスを提供するプロフェッショナルがたくさん登場するが、ホテルの従業員たちを初めとしたこれらの人々のサービスの一流振りが見ていて心地よく(冒頭で挙げたブティック店員もそう)、この映画をより楽しいものにしている。自分がそのサービスを受けてるような気分になるんだよね。
・ヴィヴィアンが、エドワードから「屈辱を受けた」と怒って帰りそうになるシーンがあって、まあ当然の流れでなんとか引き止めるんだけど、なんとか引き止めたシーンの次のシーンがいきなりベッドに2人で裸で横たわってる(事後)シーンで、びっくりした。
あ、こういうとき(喧嘩した後)は寝るもんなのね、と驚いた。
・この映画はミュージカル"My Fair Lady"を下敷きにしているようですが、やっぱりこの「身分違い変身+身分違いの恋」パターンが鉄板すぎてよい。