今日から新学期なわけだが。
2006年の新学期はどんな気持ちで迎えたのだったか。
まあこれは想像通りなので言わずもがな。
それよりも僕が2006年のいつごろ、初めて「投げ出した」のかが気になる。
しかしこれは日記をたどる迄もない。今考えれば最初から無理なのは自明だった。
これは今も同じ。同じなのか?
印象に残った授業は当然ながら夏は「相対論」(1回出席)。これについてはここでは語ってないけど、いつか書くかも。冬は…何だろう。精神状態は最悪だったし試験を一つも受けてないので流石に印象が薄いが「基礎物理実験」か。春休みに結構フラ語やった。今考えても、結構やったと思う。多分あと一息で別の領域にいけたのでは。
いや、別の領域などない。
あ、あと、駒場祭楽しかった。これは文化祭に誇りを持ってる人が多い僕の高校の出身者には怒られるかもしれないが、中高の文化祭よりも楽しかった。それ以外の大学生活が惨め過ぎてコントラストが強調されてる面があると思うけど。
2007年。下クラとフラ語受けることになったのがこの年か。2年も前とは。もっと最近に感じる。
この年の夏学期は(僕に言わせれば)「妥協して」色々単位取った。フラ語は全出席して100点近くとった。2年目なので。
ただ、「妥協して」単位を色々取ったこの学期の授業が一番印象が深い。
結局、僕は「妥協して」などと、「これはかりそめの単位取得」なんだ(当然ながら、この思いの裏には、「本気で単位取得にいくとなったら、超本気で勉強して優とりまくるぜ」という見果てぬ夢がある)、という思いでいたが、実のところ、その「妥協して」の方が、本来の人生のあり方なんだろう。
まあこれもいつものカイジからの引用ですけどね。
相変わらず勉強はあまりしてない。いや、それなりにはしたか。勉強ってのは特に指定しないときは数学の勉強のことを指す(これはこのブログにおいて大学入学以降はほとんど常に)んだけどね。
今までもそれなりには勉強してるはず。「それなり」ってのは、ある日に1時間勉強したらそれで満足して、次の日はやらない程度にってことね。
結局それなりじゃダメなんだよね。
印象に残った授業は、「記号論」と「コンピュータモデルで社会を観る」。前者は、占いと記号論についてレポートをでっち上げて、締め切りを過ぎてたのに可が来た。
今読み返してみると、まず余りに短いので驚いたが、要するに適当にだらだらと話して、脈絡なくキーワードをつないでいってポイント可算方式で単位を得ようという姑息なレポートである、という印象以上のものを受けなかった。










というか、このエントリ自体が、反省という形を装いながら、自分で「空だった」とまさに先ほど上のエントリで述べた自分の3年間をどうにかして意味づけようとする試みだということに今気づいて愕然とした(このようなことは読者からすれば自明だろうが本人は意外と気づいてない)(そして、上のエントリもまた…)。
そして、件の「記号論」のレポートは、可が来たこともあって、正直自分のイメージはかなりよいものだったので、実際に読み返してみてその質の低さ(とキーワードだけは色々盛り込む姑息さ)に唖然とした。
というわけでやはり空だったことが確認されて萎えたのであと30分以内に寝ます。