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イタトマで某テニサーが、やっぱり入会をやめようとしている新入生を必死で引き止めてたのだが、必死すぎてワロタ。
新入生1人に対して、会員2人で説得、さらに席は逃げにくいようにか(?)、椅子の席ではなくソファーの席に座らせる*1など、宗教かマルチの勧誘かよ、と。
新入生の側は、よく聞こえなかったのだが、「色々忙しくてつらいのでやめたい」というような内容を言っていた模様。
上級生の側は、「○○(新入生の名前)はまだ新歓期の表面的な△△(サークル名)しか知らない」「テニスをがっつりやるか、真面目に勉強するか、というような二者択一的思考は危険」「100人以上の中からセレク(←テニサーが新入生を選抜すること)担当者が君の熱意を認めて入会を許可したのに、選ばれなかった人にも悪い」「今すぐ決断を焦る必要はない、じっくり考えてみればいい」「先輩にも他のスポーツをやりながらテニスやってる人もいるし、司法試験に合格した人もいる」「初めはテニスに打ち込む気がなくても、だんだん熱心に練習するようになった人もいる、自分の気持ちはどう変化するかわからない」「やっぱり、○○は自分で自分の可能性を狭めてるように見える」「今ここでやめてしまうのは、マイナスはあってもプラスはない」「やってみないとわからない、自分の可能性を決め付けるのはよくない」(←最終的にはこれ連打だった)
等々、あの手この手で引きとめようとしていた模様。
その説得の一番の核になっていたと思われるのは、「今すぐ決める必要はない、やってみてわかることもある」というのと、「自分の可能性を狭めるな」ということだったけど、これはまあ詭弁みたいなものだよなあ。


「自分の可能性を自分で限定するな」とはよく言うけど、そう言ってくる人には、「ではなぜあなたは、今すぐにザルツブルグに行ってR2D2のコスプレでビートたけしのものまねをしないのか。それは自分の可能性を見限っているのではないか」と反問したい。
要するに、常に自分の中の無限の可能性が死んでいっているというこの状況は、人間にとって当然であって、なぜか(理由もなしに?)選ばれた一つの選択肢を生きていくしかないのであって、だから、「可能性を狭めるな」はどんな選択をしようとしてる人にも言うことが可能であって、であるがゆえに逆に無意味かと。
また、「やってみてわかることもある」も同様で、何事も全てやってみるわけにはいかず、結局はなぜか選ばれたいくつかのことをやっていくしかないんだよね。


それにしても、僕自身新歓というものを体験したことがないのでどうも感覚がわからないのですが、サークル勧誘熱心すぎだろ。
サークルというのは一種のミームですね、これは。いやドーキンスの本を読んでないので用法が違うっぽいですが、上級生から下級生へとその文化的様式が複製されるところが複製子といいうるのでは。






などと批判してみたけど、「とは言え、やってみるしかない」のも事実ではある。
彼の言うとおり、この新入生はテニサーに入って楽しい生活を送ることになるのかもしれない。
一方、批判してる僕は友達もできず引きこもってゲームばっかりやる生活を送ることになるのかもしれない(←現実です)。


「やってみないとわからないよ」などと嘯き、サークルというミームの哀れな宿主細胞として、ミーム自身の目的を彼自身の目的として働く彼を、ドキュニズム的であるとして(ドキュニズム的であるという批判は、結局相手が自分と異なるグループの論理で行動しているという批判にすぎない)一見ニュートラルな立場から批判するも、しかし、人生はやはり、彼の言うとおりやってみないとわからない(=ある文化にコミットするしかない)のであって、それはつまり、何らかのミームの目的を取り込んで自らの目的として行動するしかない、ということでもあるのであるから、結局この批判は完遂されないかもしれない。


これは非モテについても言えるかも。
非モテ論がどういうものだったのか正直よく知りませんが、僕が非モテということで考えていたのは、恋愛をするにあたってどうしてもコミットしなければならないとされているように見えるある態度、これが端的に気持ち悪い、ということでしたが、結局はその作法でやっていくしかない、ようなそうでないような。
ちょっと違うか。
まあいいや。


まあ、僕が新入生の彼にアドバイスするとすれば(実際にはアドバイスなど効を奏すことはないと思われるのでアドバイスなど今後する機会はないと思うが)、彼は確かに(この「確かに」は譲歩の意味は持たず、単に"indeed"程度の意味)今の(勉強と両立させる生活が?)生活が「辛い」と言ったようだが、その「辛さ」は過渡的なものではなく、本質的なものだと思う。
なので、ゆめ軽視なさらぬよう。

*1:所謂ボックス席で、ソファー席に座ってる人が外に出るためには、テーブルとテーブルの間の狭い隙間、椅子席の隣を通過しないといけないため、椅子席より外に出にくい