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インターネットからファイルやアプリケーションをダウンロードすることを表わすのに、僕が最もよく使う動詞は「落とす」*1で、たぶん僕の周りの似た文化の人は「落とす」を使うと思うが、最近の若い人の中には「取る」という動詞を使う人もいるらしい。
僕としては、この言葉遣い(「取る」)の中に、異文化臭、具体的には、パソコンよりはケータイを多く使う層(「若者の性」白書―第6回青少年の性行動全国調査報告にそういう調査があったと思うけど、ネットを利用するのに、パソコンを主に使う層とケータイを主に使う層は、文化的にいろいろな面でかなりはっきりと分かれている)、リア充・スイーツ・DQN等々の「仮想敵」の匂いをかぎとって、嫌悪していたのだが、よくよく考えてみると、「落とす」という語の方が「取る」という語より、より特別な(有徴な)語であり、ダウンロードするという行為に対してより普通の語を用意している「取る」派の方が、インターネットの存在が前景化されており、より「デジタルネイティブ」的であるのかもしれない、とふと思った。


先日ある本を読んで、自分の古さを実感したこともあり(これについては後日ちゃんと書きます。ほんとに書きますよ)、やはり僕はゼロ年代的というよりは90年代的なのかなあ、と思います。
というよりは、たぶん僕の世代(僕と同学年の世代は1987年・1988年生まれで、2000年に12歳だった。ちなみに僕は1988年生まれ)は2つの年代の狭間で、人によってそれぞれの文化の「濃度」が違うのかな、と。

*1:"download"の"down"のイメージからか