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雑記 雑記

前回の日記の続きというわけではないが。
一人暮らしを始めて1週間くらいが経って。


「一人暮らしを始めて」と言って、「大学院に入学して」と言わなかったのは、まだ講義もゼミも始まっていない(と言ってもその準備は待ったなしなのでやっているが)ので、実感としては一人暮らししか始めていないので。
日々色々な思いが去来している。

まぁ親元で甘やかされて育ったので寂しいという思いは2日に1回くらい来る。
まぁ、どう「育った」かなんてのを言い訳にできる歳ではないけれど、精神年齢(カジュアルな意味でとってくれ)が低いので。
最初の頃(一週間しか経ってないのに5日前とかを指して最初の頃とか言うのは小学生が「子どもの頃」とか言うのと同じおかしさがあるが)は、東京での豊かな暮らしが恋しいという思いだったが、まぁそれはそれなりに慣れたかもしれない。言うてもここもまぁまぁの地方都市だし、家賃それなりに高いところに住んでるし(これに関しては後悔しなくもない、無駄な贅沢だったかと。ただまぁ安いところに住んで後悔した可能性もある)。やたら寒いのだけは勘弁して欲しいけど。ていうか、これに関しては、「親元で豊かな暮らしがしたい」とか人間として終わってて、本来「親にいい暮らしをさせてあげたい」と思うべきだが。
それより最近は、親だっていつまでも若くはない(いや、そりゃまぁ、既に若くはないのだが)のに、多額のコストをかけさせて心配もかけていいのか、とそっちの方が心苦しい。
んー心配をかけるっていうか、元気な親と一緒に過ごせる期間は有限であることはmortalな我々にとって必然なのに、わざわざ離れて暮らして、水道を出しっぱなしにするようなことじゃないか、とね。
ただまぁ、とっくに親離れ・子離れしていていい年齢なんだから、そのことに関しては受け入れるしかなく、問題はわざわざ名古屋来てマスターとることが有益なのかっていうところなんだよな。
まぁ名古屋に来たことはもうサンクコストなんだからそれに関しては研究頑張るしかない。結局本業が不安でいっぱいの状態だから鬱々とするしかないんだよな。


っていうかマスターとったあとどうすんのかという問題。
んー、正直1年頑張って展望が見えなかったらいわゆる就職活動してもいいかなー、とか。
とかさっき風呂入ってる時は思えたんだけど、今こうしてブログとか書いてると就職する気なくなってくるな。思うに、ネットを始めると別人格が出てきて現実から離れた気分になってくるからだと思うけど。さっき現実的な思考をしたのは孤独にシャワーを浴びている人間。


何というか、就活始める一番の理由って世間のスタンダードな生活を勧める圧力だよな。というか、就活に限らず、社会的な身分の変更って、何にしたって(例えば進学・結婚等々)、それを行う理由も必然性もない。こっちの意思の介在する余地はサブウェイの野菜の増減の自由度くらいしかない。
そういう意味で、さっきは、孤独さからつい、親も安心するし経済的にも多少は安定できるであろう選択肢を選んでもいいような気分になったが、冷静に考えると、人生の問題は就職したからって何も解決せず、それどころか悪化する一方な気がする。
結局我々はゾンビのような存在なのだ。腐敗する肌をいかに長持ちさせるか、という。


しかしまぁそう考えると、やっぱり、どうせ大して面白くない人生なんだから、就職(できるとして)というつまらない道を選んで多少の快適さと安心を得るのも悪くないかもしれない。なんだかんだ言って、だらだらニコ動見てて楽しかったり、寝心地のいいベッドに寝たりして楽しかったりする人生なのだから。
そう、一人暮らしを始めて、心の理論としての「快不快の原則」が初めて実感を持って理解できた気がする。やっぱり風呂が狭いと不快なんだよな。


今日の日記は、普通のことしか書いてなくて自分でもつまらない日記だなと思うが、就活とか普通の話題は普通にしか話しようがないんだよな。


それより、投稿する前に読み返すとなんか気楽な日記だな、という気がする。まぁそれくらいでちょうどいいか。死にそうなときは黙ってても死にそうになるのだから。