どうせどこかで誰かが言っていたようなことだと思うけど、「死にたい」なんてのは、(少なくとも精神的な病気の状態にない人がファッションで発する限りにおいては)、「生」的な言葉なんじゃないんでしょうかねぇ。
それとも、僕のような甘ちゃんは単に絶望が足りなかったり楽天的すぎたりするだけなのか。まぁそれはそれでしょうがないけど。
少なくとも、今日久しぶりに「死にたい」と(それこそ修辞として、ですけど)思えて、そのとき、この引越してきて以来の1週間(下手すればもっと長期)くらい感じていた「仮の生」というような感覚が晴れたように思えた。


論理的に考えても、「死にたい」と言っている人は、理想の生、とまでは言わなくとも、現状に対する強烈な否定的な感情を抱くほどには生に関して少なくとも思うところはあるわけで。


凡庸な「死にたい」論を述べてしまったが、僕はあまりtwitterや日記でも「死にたい」とは書いてないはず(検索したら少しは書いていたが、それでも一般的な予想よりだいぶ少ないはず)なので、許していただきたい。