*1
数学を予備校で教えるバイトをしていて、大学入試についてなんとなく考える。
数学の問題を解くためには、*2論理的に演繹できるわけではない「ひらめき」が必要な場合がしばしばあることは明らかだが、ある意味でひらめくかひらめかないかは「運」の要素もあり、そのことはどんなに正確な試験もランダムな誤差が混入することは避けられないからしょうがないのだが、果たして大学が求める「力」が上がれば上がるほど、ひらめく確率が上がるかどうか、は少なくとも自明ではないように思われる。
ただ、常識で考えれば、「力」が上がれば上がるほど、確率は上がるように思われる。


ひらめきが必要な以前の条件の下処理、あまりひらめきを必要とせず変形したり微分したり色々したりする作業の時点でも差がつくので、ひらめきの確率だけを考えていてもしょうがないかもしれない。一般的に言って、どんな大学でも、ひらめきが必要な地点まで行ける時点でその問題に関してはその大学の受験生の平均よりは上である可能性は高い気はする。


そもそも、問題を解くというプロセスを、「ここはひらめき、ここは作業」とか分けて考えずに、単に「一群の数学の適切な問題を出し、果たしてその得点の期待値と我々の求める『力』は正の相関があるだろうか?」と考える方が適切かもしれない。
ある解法ではひらめきが必要だが、別の解法では単なる作業、ということもあるかもしれないし。現に、コンピュータに入試を解かせるプロジェクトでは、ある数学の問題は、quantifier eliminationというmathematical logicでも重要な(もちろん大学入試を解くために使用されるとは想定されていないであろう)手法を用いて解かれていて、それで解く場合は完全に「機械的」に変形するだけになっていた。


ファインマンは有名な一群の教科書『ファインマン物理学』の1巻の冒頭で、

学生諸君(読者諸君)が将来物理学者になるものとして, 話を進めることにする.

*3
と言っているが、教育に際してそれを仮定すべきでない科目、大学も多数あり(例えば医科大学は明らかに医者・医療従事者・医学研究者になるものと仮定して入試の出題・講義をすべきと思われる)*4、当たり前だが、どのような試験問題を課すべきかは、どのようなことを教育したいのかにもよる。


教育については何も専門知識はないので、基本的には無難なことだけ述べて終わりにする。


追伸。
そういえば前twitterで、そこそこ出来がいい高校生を東大に受からせるくらいのことはできるなどと妄言を吐いたが、ちょっとバイトしただけでそれは妄言だということがよくわかったので、あれは撤回、もしくは、僕が教育することで東大に入れるくらいに出来がいい子だけを出来がいい子と定義していたのだ、という自明な発言に訂正します。

*1:どうでもいいけど、このタグの使用の久しぶりさ!

*2:世俗的な文脈ではよく「幾何の問題の補助線」と形容されるような

*3:ファインマン, レイトン, サンズ(1986)『力学 ファインマン物理学』坪井忠二訳, 岩波書店, p1

*4:というか現代の常識で考えれば、良かれ悪しかれ、それを仮定してもよい大学や科目を探すほうが大変だと思われる