今はtwitterに書くようなことも、昔はブログに書いていたことも多かったように思われるので、たまにはこちらに書いてみた。そして、やはり量が重要だと思うので、たくさん書いてみた。


しかし、僕がtwitterやブログに書くことの多くは、「頭がいいことで知られるワタクシが世の中のものごとについて考えてみたよ」みたいなノリのものが多く(僕だけじゃないと思うけど)、まぁわざわざ発信しているくらいなので、トイレで尻を拭く紙ほどの重要性はないものの、うんこにたかるハエくらいの有益さはあると信じているわけだが、森博嗣のようにそれだけでも商売になる人間ならともかく、僕のようなのがいくら「ものごとについて考えてみたよ」をやってみても、やっぱりわりとしょうがない面はあると思う。しょうがないというかしょうもないというか。
やはり人間が何がしかのeleganceを見せるのは、何か1つの大きなプロジェクト(その基準は曖昧であるが、それこそプロジェクトと呼びうるようなものをプロジェクトということにする)に取り組むときであり、「ものごとについて考えてみた」は、プロジェクトとして取り組む(例えば、哲学する)のでない限り、心すり減らす日々の息抜き程度の多少の面白さはあっても、偉大な仕事にはなりえないな、と思う。
そのことは、ある著名人(さっき名前が出た森博嗣ではない。個人的には森博嗣は昨今のエッセイでも何がしかの価値を生み出していると思う)が「めっちゃ頭いいことで知られるワタクシが世の中のものごとについて考えてみるのはめっちゃ価値があることやで〜」って言いながら大して価値を生み出せていないさまを見て思った。


と、このブログやtwitterを否定するようなことを言っておいて逆のことを言うようだが、とは言え、やっぱもっとみんな文章を書くべきだとも思う。
この前会った友人に、僕が「これは僕が言う意見の中でもまとまっていてそこそこのクォリティがあり、twitterに書いてもいいようなネタだなぁ」と思うようなことを喋ったら、友人曰く「いや完全に同意する」とか言われて、いや君、僕のようなクソにとってはまぁまぁの上出来であるような意見について完全に同意するほどの意見を抱いているのだとすれば、君、普段からそれをブログやtwitterで出し給えよ、と思った。まぁ僕が知らないだけでどっかで書いているのかもしれないけど。
あるいは、世の人は、僕のように「友人と語れるのは稀にしかない事態で、基本的にまとまった意見はネットにアップするものだ」とは思っておらず、「友人に話す機会も少なくはないし、自分の意見は自分の周りの人に知ってもらえばそれでいい」と考えているのか。
まぁその辺のスタンスは色々だとは思うけど、少なくとも、せっかくの卓見はリアルで話しもしなければネットにアップもしないというのはもったいない気はするよね。


追伸
それにしても、大量のエントリを一度にアップすると、間に挟まれる広告がうざったいな。
「基本無料、ただし無料ではきわめてうざったいことになるので、サービス内容を聞いて『当然このくらいはあるだろう』と予想されるようなクオリティで使いたいなら有料でアップグレードしてね」という商売は消費者からするとやっぱり理不尽感あるよなー。*1
まぁ、テレビの地上波放送のCMなんかはみんな慣れっこになっているだろうから、慣れの問題が大きいとは思うけど。


さて、今日連続してアップするエントリも次が最後だが、このブログを読む人は次のような話題を求めているだろうと予想して、最後(一番上)に持ってきた、というような小賢しい技。

*1:ニコニコとか。僕はプレミアムです