幼児は工藤新一でなく江戸川コナンに感情移入して『名探偵コナン』を観るか?

ある程度以上年齢が行った人は、青山剛昌名探偵コナン』において、工藤新一という「真の人格」を主人公として捉えてある程度感情移入して読み、江戸川コナンの人格はわざとらしい演技である(「あれれ〜」とか)と理解し、ナチュラルボーン小学1年生である少年探偵団の元太ら仲間のことは、もちろん友達ではあるが最終的に帰る場所ではない、仮の関係性を持っているにすぎない仲間ととらえると思う。

ふと先日、子どもとしての「江戸川コナン」の方をメインにとらえ、感情移入するような幼児はいるのかな、という疑問を抱いた。
このような疑問を抱いたきっかけは、TSUTAYAで流れたコナンの映画か何か*1の宣伝の音声だった。その宣伝の中で、コナン(というか高山みなみというか)は明らかに子ども向けな調子で、終始あの「あれれ〜」声というか、「子どもらしい無邪気な声」っぽい声で宣伝していた*2
宣伝は劇中世界の描写ではなく消費者に向けて語りかける場なのだから、蘭や少年探偵団の前で子どもの振りをするという演出でない限り、新一という真の人格(を表すとされる低め)の発声をするのが普通だ。
そのような宣伝の中で「あれれ〜」というぶりっ子ボイスを主に使用したというのは、あの宣伝の受け取り手と想定される人たち(おそらく幼児?)は「江戸川コナン」の「子ども」の人格の方がデフォルトであると捉えている人が多い(と少なくとも制作陣は捉えている)ということなのかな、と思った。

結論から言えば、そのようなことはないのではないか、つまり子どもも意外と鋭いんじゃないか、と思った。
別に幼児向けメディアでの『名探偵コナン』の扱われ方に関する調査を行ったわけではなくただの推測なのだが、年齢の行かない幼児でも案外早くに「この人はただの子どもではない人で、子どもを演じている」ということを理解するのではないか、と思う。

というのは、子どもはまだ会話の内容を詳しく理解する以前から、大人の空気を察して、「それがどういう性格の会話なのか」ということを案外鋭く察するから、「我々(読者=主人公)」の世界はこちら(低い声・難しいことを言うコナン、灰原とのひそひそ話など)で、少年探偵団はコナンたちとは違う存在、ということはアニメの随所の描写から鋭く察知するのではないだろうか。
また少年探偵団らの子どもの世界は、あくまでもうちょっと年齢が行った人が「子どもはこういうものだろう」と思うような、大人の想像する子どもの世界として描かれているから、本物の子どもからすれば必ずしも親近感を感じないかもしれない。大人が「彼らは子どもだから主人公たちの属する世界とは違う」と感じるように、子どもたちもまた作られた「子どもの世界」を親近感を持って感じないかもしれない。

はい、それだけ。twitterで書いてもいい話なんだが冗長に述べてみた。

*1:まだ映画の季節じゃないし、違うかも。TVスペシャルとかかも

*2:ときおり「新一声」とでも言うべき低い声も混ぜていたが、「あれれ〜」声が中心だった