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家庭教師反省

お仕事 反省

家庭教師のバイトで中学生を教えた件について、個人情報はもらさないように注意しながら反省する。
ただ、当然ながら僕はただの学生バイトで、教育に関する教育は受けていないので色々ツッコミどころはあると思うが、そこは素人の戯言だと思っていただきたい。
教えた教科は主に英語と数学。

前提として、もらっている給料分はしっかり働いたと思う。
もちろん色々反省はするのだが、ほとんど実質的な研修もない以上、既に持っている武器で勝負するしかないわけで、やれる限りはやった。
ただ、彼の学力を向上させることができたかというと、うーん。
僕がつけ足せた部分があったのか疑問。

僕が教えた子は運動部の練習でかなり忙しい子だった。
勉強やる習慣はほぼなし。
宿題出してもほぼやらないか、指導時間の直前にアリバイ的にやるだけ。

数学

例えば、「√72を簡単な形にせよ」という問題とか、とりあえずやり方を覚えてもらうしかないわけですよ。
「2乗したらある数になるような数」というような言い方をしても、操作を抽象化してとらえることに慣れていない中学生からすると何やねんとしか思えないだろうから、72を素因数分解してペアになってる数を外に出すんだよーというのを教えて練習させて、いろんな説明は手順に慣れてきたあと、というのがいいと思う。

しかし、その順序で教えるには、どうしても最初はやり方を天下り式に教えるしかないわけだが、そのやり方を仮に教えても復習も練習もしないので、翌週にはまた忘れている、というパターンが多かった。

やっぱり数学は難しい。
文字式・関数という二大難しい概念が中学で出てくる。
あらかじめこれらの概念を既に持ってる人にとっては困難は何もないが、そうでない人にこれらの概念を分からせることの難しさがやばい。

何か色々ごちゃごちゃと雑多なことを教えようとして挫折しているうちに1年終わってしまったが、この概念を定着させることだけに専念すべきだっただろうか。

やる気がわくようにさせるには、僕がモチベータとしてうまくふるまえないといけなかったと思うが、これに関しては、ほとんどできていなかったと思う。
嘘でもいいから"What you get from this course"を示すべきだっただろうか。
でも正直さー中学数学の内容なんて、より高度な数学を学ぶための「道具」としての役割の方が多くて「これこれに役立つ」とか言いづらいんだよなー。

例えば「2乗根の概念を通じて無理数というものに触れさせる」というのもよくあるお話だと思うし実際その話もしたが、そういう話を面白がれるのは既にある程度数学ができる生徒だと思うんだよな。
現に√72を簡単な形にするやり方がまだわかってない生徒が、√2が整数の比としては表されないことを知って不思議に思ったりするだろうか?
「へー無理数ってのがあるんだー」って思うためには、「割り算で出てくる小数はいつも循環しているな」くらいは体感していないとダメではないか。でもそれを体感できる生徒はパターン認識能力的な意味では数学的センスがある生徒だと思う。

まあ、「有理数じゃない数がある」という話を一瞬でもされておくことは、その後の人生にとって非常に重要であると思うが、それはそれとして、√72を簡単な形にする方法は結局練習して覚えてもらうしかない。お話はおそらくあんまり関係ない。

中学数学で何か面白さを感じるところがあるかと言われたら、因数分解とか計算それ自体のパズル的な面白さくらいじゃないかな。それは何も中学数学がつまらないということではなく、このようなパズル的楽しみは、数学の楽しみの少なくない部分を占めていると思う。

「理解させる」とはいったいどういうことなのか

人間の脳が空白の石板であったら理解させるということは無理である。
人間があらかじめ持っている思考のモジュールを活用するしかないのだが、そこに個人差があるので、こういう能力が弱い場合は、こういうモジュールを転用してどうにか理解させる、というような具体的な手順があればよかったのだが。

例えば、片目の視力を失った人が遠近法やモノの動き方(近くのものは大きく、遠くのものは小さく動く)に敏感になることによって両眼視差による立体感の知覚を失ったことを補うように、数学においてもある種類の抽象化が苦手な人が別の思考モジュールを活かして概念を理解する、というようなこと。

例えば僕の生徒の場合、xという文字を数「だと思って」見る、とか、(x+y)をひとかたまり「として」見る、というような「『として』思考」が苦手だったと思うのだが、じゃあそういう思考が苦手なときに、どのような別の概念に関するモジュールによってその機能を代替させるのか、ということに関する処方箋が欲しかった。

おそらく、現状ではそれはなかなか高望みであって、認知科学的な処方箋はまだないか、仮にあってもバイトの僕がその情報にアクセスするのは厳しい面もあるので勘でやるしかないのかもしれない。
しかし、少なくとも経験を得るための体系だった試みくらいはすべきだった。

英語

英語についてはわりと生徒の課題というか状況というかは割とはっきりしていて、授業で説明された教科書のテキストの日本語訳と単語のおぼろげな意味は完全に把握できているのだが、英語のシンタックスについて全然理解していないという状況。
シンタックスを理解してないから覚える気が怒らないのか、覚えないからシンタックスを理解できないのかわからないが、代名詞の所有格と目的格も覚えていない。

英語のシンタックスを理解するには、"Do/Does/Did... + [主語] + [動詞] + [目的語]"という文型においては、主語の「函」にはyouとかheが入る、動詞の函にはloveとかeatとか、目的語の函にはapplesとかherとか、というような認知のパターンがバックグラウンドにあると思うのだが、おそらくこの「函に入れる」思考は数学における思考のパターンと共通する部分があって、彼が英語で苦手な部分と数学で苦手な部分はおそらく関連しているように思われた。

ただ、そういう現状認識の下で、どう訓練を行っていけばいいのか、という部分がイマイチだったかもしれない。

シンタックスを意識させるために、Do you like coffee?という文を提示して、youをheに置き換えるとか、過去形にするなどの置き換えの課題を課したりもしたが、例によって宿題はやらないのでなんとなくやったりやらなかったり、というような感じになってしまって。

これも、教科書で長文読解のまねごとなんかしてないで、置き換えにとにかくフォーカスしてひたすら訓練すべきだったか。

とにかく、週1回の指導なんてどうせろくなことはできない上に宿題をやってくることは期待できない以上、一個だけでも重要な概念を理解させよう、という一点突破方式を試みるべきだったか。うまくいくかどうかはともかく。

指導の方法

ある宿題を出してもまったくやってくる気配がないので、こちらも嫌になってすぐ次の週にはその宿題は出さなくなる、というようなことはよくあった。
また、数学にしても英語にしても理解に根本的な問題があるなあ、と認識しながら、その問題だけに集中するのではなく、なんとなく色んなことを幅広くやってしまった感がある。
これも、宿題同様、全然理解してくれないのでこちらが嫌になってしまう、という面もある。
お金をもらって仕事としてやっているのに、すぐ嫌になりすぎだったかもしれない。

ただ、確固たる指導計画がないからすぐ嫌になってしまうという面もあった。
その意味でも、各ステップは短い時間でもいいからPDCAサイクルを回し、少しでも一貫した計画に基づいて指導できるようにすべきだった。

まあそこは、やってもやらなくてもお給料同じなのだが、少しでも成長できるようにした方が僕の人生にとってもよかっただろうなーということ。

やる気を出させるには

これはほんとにわからない。
ただ、やる気を出すための一番の方法はできるようになるということであって、やる気が出ない最大の原因はできない・わからないことであることは間違いない。
しかしやらないとできるようにならない、というジレンマがあるわけだ。

松岡修造的な熱さを見せるとか、スパルタ式に無理やりやらせるとかすべきだったのだろうか。
モチベータとしてどうすべきだったか、については全くわからん。

学校の役割

授業についていくのも厳しい状況である生徒に対してどう対応しようと思ってるのか謎だった。
まあ、僕からは学校の状況は間接的にしか分からないのであれこれ言ってもしょうがないけど、単に放置されてるとしか思えなかった。

また、運動部の練習の負担は過大であると思う。
現に学習に支障をきたしていたので、せめて休日くらいは休ませてあげるべき。

教材

今まで、自分自身の経験から、教材というのは意識高く難しく解説がくわしいものが最上であると思いこんでいたが、当たり前だがそれぞれの生徒にあったものを選ぶ必要があることがわかった。
英文法パターンドリル 中学2年 (シグマベスト)は買った教材の中では、役に立った部類だった。
ドリル形式は、言語というのは一定のパターンがあるというのを認識させるのに役に立つのではないかと思う。

学生バイトの家庭教師がそもそもどこまでできるのか

某家庭教師派遣会社に登録しており、そこから派遣される形だった。
研修はほとんどないかあっても形ばかりのもので、指導内容についてはほぼ完全にこちらに任されている状態。
クオリティの差は色々出てくる。
指導時間に対してしか時給が発生しないため、宿題作成だけでも指導時間t時間に対してt/2時間は使っていた。この時点で実質給与は本来貰える額の2/3であった。
それ以上は給料もらっていないのだからということで指導計画の策定を十分な時間をとって行わなかったが、宿題作成の時間を減らしてでも、毎回10分でも、一貫した指導をするための計画を練る時間をとっておいた方がよかった気がする。
サービス残業は本当ならしたくないが、例えば指導時間の2分の1なら2分の1と限度を決めて甘受し、その時間をどう効率的に活用するかというメタ戦略をしっかり持つべきだった。
無限にサビ残するのではなく、さりとて実際上行われている(違法な)慣習を無視して「ひとりホワイト労働者」(ただし無能)になるのでもなく、その間の現実的なラインを模索すべきだった。

いや、そういう意味では時間的にはその理想像に近いことができていたとは思うが、十分その貴重な時間を有効活用する戦略を持てていなかった。もっと一貫した指導ができるように計画を立て、また、その日の指導を振り返る(予習・復習!)時間をきちんと確保すべきだった。

ただ、どうしてもテスト前には保護者の方から成績アップを要望されるので、テスト前は、「これはまだ理解できないだろうな」と思っても、テストに出る内容をとりあえず詰め込もうとするポーズを見せる必要があった。
ただ今思えば、真に将来的なテストの点をあげるために必要なことの指導に集中すべきだったかもしれない。
良くも悪くも、保護者の方からはこちらの指導内容はあまり見えないのだから。

やってみたこと

いくつか試みたこと。

宿題

宿題はかなり力を入れた。

問題集の問題をただ指定するのではなく毎回指導を踏まえて問題を自作していた。そのこと自体は悪くないが、先も言った通り労力の配分を工夫すべきだった。

進捗状況を報告させるようにした。これは一見いいアイディアだが、自分の経験からしても実はうまくいかないことも多いと思う。実際、どうせ途中からなかったことになってしまった。

数学

1次関数については、傾きの概念を強調し、日常的な比例の感覚に訴えるよう努めた。これは数少ないうまくいったアイディアであったと思う。

文字式について、代入の概念が理解のためのキモであると見て、文字への代入の練習、および、代入の「逆」つまり、3*7 + 2*7 = 5*7という式に現れる7をxに置き換える、というようなこと*1の練習をさせた。前者は割とすんなりできるようだが、後者はなかなか。代入を強調するだけでは文字式の概念を理解できるようになるわけではないらしい。

英語

短文暗記。これは一切覚えようとしないので挫折した。

文の構成要素の一部を置き換えて別の文を作らせる。
これは先に述べたシンタックスを意識させるための取り組み。
案の定うまくできなかったので、「このような操作は苦手であろう」という予測は当たっていたが、特に文の構造に対する認識が向上したかというとそうでもない。

まとめ

素人なので色々わからんし彼の学力に対して寄与できる部分はさほど多いわけではないので結果はしょうがない面もある。
色々試みたことは悪くはなかったが、その試みをもっと一貫性を持って計画的に行うべきだった。

*1:これはもちろん論理的には正しくない操作だが理解の上では役に立つと思っている