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Defining Work

テレビ 雑記

僕はタモリを一言で特徴づけろと言われたら『笑っていいとも!』の司会の人だと答えるので、『笑っていいとも!』を見たことがない若い人*1が『ブラタモリ』を見たら「なんだこの陰気な老人は」ともしかしたら思うかもしれない、と想像するのである。
笑っていいとも!』がタモリを定義する仕事だと思っている*2僕からすると、『笑っていいとも!』を見たことがない人はタモリの本質をとらえそこねているように感じられてしまう。
そういう意味では、『8時だョ!全員集合』を見たことがない奴は加藤茶のことを何も知らないのと同じだと思っている人に言わせれば、僕は加藤茶の本質を理解していないことになるだろう。
このような「本質的仕事」論は、別に老害の戯言などではないと思う。実際僕などは、加藤茶がなぜ偉いのかよく理解できずそれは『全員集合』とか『ドリフ大爆笑』とかを見ていないことにその理由の一部があると思われるので、「この人についてはこれを見ないと始まらない」というようなdefining workというものはある程度の客観性を持って存在していると思う。

そういう意味ではdefining workをなすことは大事である。それなしでは、(ある見方のもとでは)タモリタモリ加藤茶加藤茶たりえなくなってしまう。まあ、仮に『全員集合』や『笑っていいとも!』(あるいは赤塚富士夫)がなくとも、彼らは別の場所で世間に自らをdefineしてみせたかもしれない(彼らのタモリ性、加藤茶性をもってすれば)けれども、もしかしたらそうではないかもしれない。
一方で、タモリのようないっぱしのfigureであっても、人によって見方は異なることを理解するのは重要とも言える。「あのタモリさんが!街をブラブラします!」という番組を作っても、ともすれば、サングラスをかけた謎の老人が徘徊する番組としかとらない人もいるかもしれない。キャスティングする側もタモリ本人も、タモリタモリたる所以を片鱗でいいから見せられるようにがんばった方がいいかもしれない。

余談だが、基本的には『ブラタモリ』は好きだけど、最近のは筋書きどおりに進行しすぎてあんまり面白くないと思う。

*1:と言っても『笑っていいとも!』が終わってそんなに月日は経っていないが

*2:むろんこれは人によって違うのだろうし、有識者は別の定義をするかもしれない