身勝手な話ではあるが、カップルを見るとむかつく。
高校生ならなおさらだ。
まあうらみというかねたみというかそねみというか(とは言っても、「そねみ」という言葉はねたみとセットになっているだけで、意味を知っているわけではない)。


でまあいちばんむかつくのが某東大に行く生徒が一番多い女子校(以下O高校)の生徒を連れてる男を見たときである(このような、誰が見ても容易にわかるような伏せ字みたいなことをするのは好みではないがさすがにまあ)。
なんとなれば。


まあ僕はモテない。
しかし、モテないということを正当化しようと、あるいは理論武装しようとする。
曰く、恋愛は馬鹿がやることである(滝本竜彦の小説で主人公が似たようなことを脳内レイに語ってたと思う)。
だいたい、「あの人のためならNできる」(Nは任意の行為)なんて台詞は理性のある人間なら吐かない。
よって、自分は、恋愛なんてしない、馬鹿じゃない方のグループに属している、別に馬鹿同士が恋愛とかしててもどうでもよい、と考える。
実際、ギャルとギャル男がつきあってても心底どうでもよい(獣姦趣味でもない限り、誰が猿とセックスしたいと思うだろうか?)。
しかし、O高校の生徒が男とつきあってたらどうか。
O高校といえば馬鹿じゃないグループの女子では筆頭に挙げてもよいだろう。
その才媛がよりによって男とつきあってるのである。


アンパンマンの本体が胸の顔のマークにあるように(本当かどうか知らないが)、ぶっちゃけ男の本体は陰茎である。
そして、男とつきあうなんて行為は隷属を意味する(おそらく。偏見であるが)。
つまり端的に言えば、東大に行こうかという、おそらく日本でもトップクラスの知性を持つ前途有望な女子がちんこに隷属してるのである。


今日の今日まで貞淑にも操を保っている思春期の男子にとってこれほど希望を打ち砕くようなことがあろうか。


O高校、お前もか。






……とか何とか言っているが、ぶっちゃけ万が一この僕にも彼女ができるとなれば(とはいえあり得ない話ではない。噂によれば大学に行けばどんな男でも彼女ができるそうである)、素直にその機会に飛びつく。
あっさりと滝本竜彦のように寝返る。
わざわざ彼女を作る機会を自ら放棄してまで思想の一貫性を保とうという気はない。
というかやっぱ一貫性を保つのは無理なような気がする。


ということは上に書いたことはまるっきりのその場しのぎの戯言ということになる。
それもなんだか。
というかどうしようもないしどうでもいいので彼女欲しい。