まあPC断ちはいいや。
なんかラジカセ(ラジオもカセットもほとんど使ったことがないが……)が壊れてせっかく買ったリスニングのトレーニング上級編が聞けないのでipodnanoを親に金を出してもらって買っていただいた。
まあ1GBですが吾唯足知の精神で。
もともとあんま音楽聞かないしな。
紫陽花以来ハロプロのCDを買っていませんが、レインボー7はピンクだけで買う価値はありそうだがまあ借りればいいか(∵金は有限)。


森博嗣の短編集「虚空の逆マトリクス」の中の一編「ゲームの国」を読んだわけではないがぱら見した。
その中でよい回文の条件として、「意外性」が挙げられていたのを読んで突然思いついた。


そうか、回文の面白さは意外性にあったのか、と。
話は飛ぶが僕は小学校の頃斉藤洋という作家の児童文学を愛読していたのですが、(たしか氏の著作だったと思う)作中で「〜という作戦だ!作戦名は『(うんたらかんたら〜なんか長い名前)暁のパイナップル作戦!』」とかなんとかいう台詞が出てきまして(まあ作戦名にやたらと長い名前をつけるとかかなりベタだけど当時小学生の僕は素直におもしろがった)、僕はこの作戦名に非常に心を惹かれました。
小学生なりにその魅力を分析した結果、「暁」「パイナップル」というまったく関係のない単語の唐突な組み合わせがすばらしいのだ、と気づきました。
それ以来、というわけでもないのでしょうが、不条理なものは何となく好きでした。


「暁のパイナップル」なみの面白い不条理を作ろうと思って辞書から無作為に単語を選んで組み合わせようかとも思ったり(とは思いながら実際にはやってないけど。こういう、やったら面白そうなことで、未だにやらずにいることというのは結構多い。墓場まで持って行きそうで嫌だ。睡眠に入った時刻を分単位で調査する試みとか)。


そこで「回文」なのである。
たとえば「き、来た。戦うよしみの未使用肩たたき機」という、昔「笑っていいとも」で見て非常に面白く思った回文があります。
この面白さ(の少なくとも一部)ははこれが回文であるところにあるのではない(一瞬で回文かどうか判定できないし。できる人は天才か何かだろう)。
「戦う」と来て、「よしみ」。このギャップの直後に「肩たたき機」である。
不条理の極みだ。
回文を作るという目的のもとで、言葉は意味ではなく音によって選別され、結果として辞書から無作為に単語を選んだのと同じような結果が得られる。
つまり回文がランダムネスを作り出す一種の装置になってるというわけです。


まあこういう日記を書くからには1個くらい作らないとな、と思って作ってみた。


白髪疎み、致死の毒。まさに見切る水圧、愛する君にさ、マクドの七味唐辛子。






参考
http://www.dnp.co.jp/museum/nmp/artscape/artwords/a_j/dadaism.html
あと、「暁のパイナップル」でぐぐったらヒットしてびっくりした。






美愛というアイドルがいますが、今日DVDを見ていて悟った。
あれはおっぱいというより肉だ。


えーとあと10日か。
東大の受験票来た。