ネットのどこかで、『もってけ!セーラーふく』がオリコン2位になったことについて、「楽曲を買うという本来の意義が失われている」として批判されていたブログのエントリを見たのですが、今はそのエントリは削除されているようですので、そのブログに対する意見という形はとらず*1、一般的にそのような意見に対する私の意見という形で勝手に書きたいと思います。


やはり、買う目的が個々人で異なるのは当然なのでは。


そのような意見が何を批判しているのかは僕にはよくわからないのですが、「楽曲はその楽曲を聴くために買われる『べき』である」という認識があり、それに基づいて批判されているものだと思います。


私は、買ったモノに関して、その使用目的を縛るような規範は、基本的には*2存在しない、と認識しているのですが。
つまり、例えば本を買ったら、それを燃やすのも破くのも自由だし、料理を食べに行ったら(料理を買ったら)、それを残すのも自由だと思っています。
対価というのは、基本的にその商品の処遇を自由にする権利を含めて買っていると認識しています(所有権というのはそういうものなのでは?)。


同様に、オリコンの順位を上げるために買うのも個人の自由というものだと思いますが。


勿論、ルールというのは様々なレベルがあって、法律のような強いものや、マナーのような弱いものまで(ごく小さい共同体における不文律とか)、複雑に絡み合っているわけで、「君が言うのは『法律のような強いレベルでのルールにおいてはCDをオリコンの順位のために買うのは自由だ』ということであって、もう少し弱いレベルの(「倫理」くらいのレベルの)ルールにおいては、『CDは楽曲を聴くために買われるべきである』というルールも存在するのではないか。例えば、いくら料理を残すのが自由でも、『出してもらった料理を残すのは失礼だ』というルールが存在するように」という批判も考えられます。


たしかに、僕も、作ってくれた人に申し訳ないので、料理はあまり残さないようにしています。
しかし、料理を一口食べて全て残したとしても、それによって非難されるほどではないと考えます。
これに関しては、私はこう思う、としか言いようがないのですが、私は一般的に、明示的でないルールよりは、行動の自由の方を重視しています
これは、僕が合理性を重んじるからかもしれません。非明示的なルールは、恣意的に適用が行われる可能性がありますからね。


この姿勢についてはhttp://d.hatena.ne.jp/four_seasons/20060820http://d.hatena.ne.jp/four_seasons/20061104でも表明していますが。


今回の『もってけ!セーラーふく』に関しても、非難されるほどのルール違反ではないと思います。
そもそも、いくらオリコンの順位を高めるために買ったと言っても、このような運動が起こる場合には、その曲がいいと思った人が多いからこそ起こる場合が多いのであって、また実際にこの運動に賛同して買う人においても、その曲がいいと思うから買う場合が多いのではないかと思いますが(楽曲の選択はまったく任意な、恣意的なものではではない)。
そういう観点から見ても「減刑」の余地はあるのでは?








余談ですけれども、アーティストの所謂固定ファンも、楽曲を聴くためにCDを買っているとは言い切れない部分もあると思うのですが。
僕もモーニング娘。の曲を買うときに、「あーまあまあの曲だけど、一応『義理』で買うか……」と思いながら買ったこともありますし*3


これも余談ですけど、消費者の動向をどの程度反映しているか、という点においては、オリコンのCD売り上げのランキングの信頼度は昔に比べるとかなり下がっていると思われます。
着うたのダウンロードはこれには含まれていませんし、TSUTAYAとかで借りてコピーするだけの人も多いでしょうからね。

*1:既に撤回した意見に対して反論してもしょうがないので

*2:もちろん、公共の福祉に反する使用とか危険な使用とかは除く

*3:まあアイドルヲタはある種特殊でしょうけど