大学の教員とかあるいは大学OB・OGの偉い人のインタビューとか見ると、必ず2年生までの駒場時代は時間がたっぷりあるのだから色々なことに挑戦しろ、と言うけど、ギャグで言ってるとしか思えない。
全然時間ないでしょ。
まあ昨日29時までネットを10時間してた僕が言えることではないけど。




というわけで今日から(一部サイトを除いて(←弱))ネット断ちします。
最低でも6月中は続けます。


ていうか最近日記書いてなかったので僕がさすがに今年はまじめにやってるんだろうと思ってる人もいるかもしれないけど、やっぱり未だダメ人間です。
ただ、一応今何をやってるのか知ってる程度には、だいたい全ての授業には参加していますけど。




まあ話は戻って、「時間は十分にあるんだから本を読んだりアルバイトをしたりボランティアをしたり旅行に行ったり人間関係の輪を広げたりして、有意義に過ごしてほしい」とか何なんだよと。しかも(偉い人は)全員これ言ってくるしね。
僕が思うに、偉い人は駒場時代の苦労なんか忘れてしまって、全員記憶を捏造して嘘っぱちを言ってるんだろうと思う。


いやさすがに言い過ぎた。
でも、「駒場時代は短く、できることも限られているから死ぬほど努力しなさい」の方がまだ本当らしいと思う(と言いつつ僕は努力と最も遠い生活をしている)。


まあこういうことを書くと、したり顔をした社会人が出てきて、「いやほんと社会に出てから学生時代の暇さがわかりますよ」とかなんとかコメント欄で言ってきたりするのでうざいが、
僕は将来どんなに忙しくても、「いや駒場時代の方が忙しかった」と絶対言い続けるからな。
意地でも言い続ける。


まあでも、確かに僕が「世界を広げる」「人間の幅を広げる」と正反対のことをしているのは確かだろうと思う。
人間関係とか狭いどころか「零環か!」って感じだし。
たぶん僕なんかは、こういう立派なことをやってるような人たちの前に立たされると、考えが狭い、世界が狭いと厳しく叱責されるだろう。


しかし、もっと人付き合いが苦手で、自分の専門領域にしか興味のない研究者とかいないのか。そういう人の話を聞きたい。いないか。
世界が狭いので引用するのが森博嗣ばかりで本当に申し訳ないが、彼の若い頃のやや攻撃的な文章で、

立派な企業人となった同級生から、「よく飽きもせずコンクリートばかり」と指摘されるが、それは非研究者・非学者の視点であって、こういう一面は当然どの分野でも同じだろう。
また、部分の中に全体が含まれることは、社会との直接(あるいは同時)関連が極めて僅かな一部分に挑戦した研究者が、一般人よりグローバルな哲学を構築している数多くの実例から容易に想像できる。
(『森博嗣ミステリィ工作室』所収の「アイスクリームのデザイン」より引用)

とあるし、一見「狭い世界」でも言い分はある。


まあ結局、みんな自分のやってきたことを紹介するしかないよね。