このキャッチコピーいいですよね。
「もう一度、妻を口説こう。」


どこがいいかと言うとですね。
まず、正直言ってくさい。
こんな言葉は、キャッチコピーとしてしか存在しえないですね。


コピーライターが「これでどうだ」と言っている姿が目に見えるようです。
糸井重里のような力の抜けた、自然なところがない。力が入りすぎている。


だが、それがいい


そもそも日本人が恋愛について語るときは、どうしても、現実感のともなわない、歯の浮くような、村上春樹の小説のような言葉でしか語らないように思います。
アメリカ人と違って妻に「愛してるよ」とか言わないので、どうしても照れ笑いを浮かべながらになってしまう。
キャベツ畑の中心で妻に愛を叫ぶという企画の映像をニュース番組か何かで見ましたが、みんな情けないくらいに恥ずかしそうにしていました。






この力の入りすぎた、くさいコピーには、日本人が「愛(笑)」について語るときの恥ずかしさが表れており、しかもそれでいて、CMの製作者はそれを恥じることがない。
こういうの何て言うんだっけ、「盗人猛々しい」?
すばらしい。




あと、もう少しベタに分析すると、
「もう一度」という表現は、「私」にとって、「妻」というものが、自分が「口説く」ことによって、得た存在なのだということを「発見」させる効果がありますね。
ややもすれば事務的な響きを感じさせる「妻」という言葉、その「妻」と「自分」はかつて恋愛関係にあったのだ、という事実。
これが「もう一度」という言葉によって、強烈な印象を持って示される。


一方、「口説く」という言葉ですけれども、この言葉も一種独特の雰囲気を持った言葉で、例えば「告白する」という言葉に比べて、より「むりやり従わせる」というニュアンスを強く持っていますので、メッセージとしてはより強烈な印象を与えますよね。




ていうか、僕は未だによくわからないのですけれども、女性を説得することによって、男と女の関係に持ち込めるものなんですか?
何をどう説得するんでしょうね。
よくわかりません。
ソクラテスみたいにするのか?


この「口説く」という言葉にしてもそうですが、やはり空々しい響きがある。
実際、妻を「口説いて」「落とした」という人はどのくらいいるんですか?手を挙げてください?


「口説く」とか「愛してる」とか、あまりに寒い言葉だと感じる。
それは「ストーリーとしての恋愛」なんじゃないかと。


そんな、お菓子の家のような作り物の「恋愛」を、「あなたもした(かつて妻を口説いた)でしょう?」と図々しくも言ってきて、しかもぜんぜん衒いがない、そんな、ディズニーランドみたいな押し付けがましさが好きです。