今日は豪遊してしまった。


昼家を出て、東京都美術館フィラデルフィア美術館展を見に。
こういうの行くといつも思うけど、今や日本の美術の庇護者(の集団)は、おばさんである。
いや、昔からそうなのかもしれないが。


ところで一応不要な言い訳をしておきますが、美術館に行ったとか言って、俺って文化的な大学生でしょ、とアピールしているわけではないですよ、当然ながら、だって、フィラデルフィア美術館展に行きましたとかただのミーハーでも言いますからね。


カミーユピサロ『午後の陽光、ポン・ヌフ』
いやあパリいいねええええ。


エドガー・ドガ『14歳の小さな踊り子』
はニンフェット的な意味で素晴らしい。


ピエール=オーギュスト・ルノワール『大きな浴女』
神。
やっぱりどうしても母親的なものを連想するんじゃないんですか、これは。
それはしょうがない。マザコンとかではなく。


ホアキンソローリャ『幼い両生類たち』
質感がヤヴァイ。
幼子がマジでオオサンショウウオみたいにぬめぬめしてます。
あと水もすごい。
あと、幼女的な意味で美しい。


フェルナン・レジェ『印刷工(最終ステート)』
鮮やか。
機械の機械っぽさがいかにも20世紀初頭らしくてほほえましい。
そんな時代がありました。


ジョアン・ミロ『月に吠える犬』
はシンプルで、ユーモラスで、不安でよい。


ルネ・マグリット『六大元素』
いやもうマグリット先生そのもの。暗闇に浮かんでる感じがよい。


ミルトン・エイヴリー『黒のジャンパースカート』
えー個人的な話ですが、ジャンパースカートというものはすごく好きですね。
某有名女子高Oの制服なのでね。


フローリン・ステットハイマー『ベンデルの春のセール』
戯画的な騒々しさ。
虚飾は、華々しければ華々しいほどよい。


ダニエル・ガーバー『室内、朝の光』
印象派に影響を受けたらしいけど、これは明るすぎ(いい意味で)。
朝の光すぎ。
少女すぎ。
一点の曇りもなくアメリカ的すぎ。


ドロテア・タニング『誕生日』
スティーブン・キングのように怖い(読んだことないけど)。
ぼんやりとした怖さではなく、部屋の隅まで明瞭な怖さ。
こういう怖さは現代的な怖さだと思う。
つか、足元使い魔おるし。


上野に行ったので、ついでに本郷書籍部に歩いて行く。
圏論による論理学―高階論理とトポス
集合論の哲学―「カントールのパラダイス」につづく道
を購入。
前者はすごい期待してました。


ついでに歩いて秋葉原に行く。
東方紅魔郷を購入。
今更というにはあまりに今更なんですけれどもね。
東浩紀が昔ファウストかなんかで「乙一くんが『惑星ソラリス』を見てすごく面白いと言ってて、『それって君が生まれる前の映画だよ』と言ったら『えっそうなんですか』と驚いていたのを見て、現代のデータベース化した社会では最近の作品も昔の作品も並列しているんだなあと実感した」とか何とか言っていたような気がしますが(自信なし)、と言いつつオタクは新規参入者を馬鹿にする傾向があると思うけど、でもやっぱり新規参入者は常にいるんだよね、と言い訳する。


ところで、行きの電車でproblem paradise(チェスプロブレムの雑誌)のFairyのF325のひとつの解がわかってうれしかった。
チェスプロブレムに興味を持ってまだ少ししか経ってないけど、フェアリーを解くのは、異世界を探検するような楽しさがありますね。