ルノアールボードゲームをやってたら止めさせられた。ボドゲができないことよりも喫茶店でボドゲもできないような日本という国が残念だよ。
ボドゲをやることを禁じるような合理的な理由はなにもないと思う。

  • 長時間占拠する可能性が高い?

ボドゲやってなくても長時間占拠する人はいるし、現におしゃべりだけで今日は数時間以上いた。
まぁ「談笑の結果として長時間になるのはいいけど、ゲームだと確実に長時間になるでしょ」という理由も考えられなくはないが、普通ボドゲでも長くて2時間とかだし。

  • うるさい?

うるさくしてないし、ボドゲが特にうるさくなるとも考えづらいと思う。

  • 食事をする場でゲームするな?

それを言ったら仕事や勉強をするのもどうか、という話になるので、それはないだろう。
その他、悪臭やゴミや何かを生じさせるわけでもない。


また、思考実験として、「ノートパソコンに向かってカタカタ仕事をしているように見せかけて、実はネット対戦でボドゲやってる人」や「数人で集まって、何やらノートと鉛筆を回している集団とおもいきや、そのノートに自分の着手を書き込んで実はボドゲやってる人」を考えると、おそらくこれらの人は許容されるであろう*1ことから、やはりボドゲに特段禁止される理由はないと思う。


というわけで、合理的な理由はないので、おそらく「場にふさわしくないから」とかそんな感じの理由だと思う。
まぁ別にそれはそういう店の方針ならしょうがないと思う。店は客の行為に制限をかける自由がある。
ただ、ボドゲが許可されないっていうのは、ボドゲが「いい大人がするような何か」ではない、とみなされているからじゃないの?と*2思う。
http://mtmt-blog.com/?p=3519
の冒頭に紹介されている、瀧澤武信、松原仁 他著『人間に勝つコンピュータ将棋の作り方』からの引用

欧米ではチェスが知性の象徴として人工知能の「立派な」例題として当初から尊重されていたが、日本では将棋は遊びと見なされて長い間にわたって研究の例題として認められなかったのである。筆者も1980年頃にある大学の先生にコンピュータ将棋の研究をしたいと言ったら「人間のくず」と罵倒された経験がある。

にあるような風潮は今でも当時とほとんど変わらずにあるんじゃないかと。
もちろん、世間でゲームの類がまったく受け入れられていないとは思わないが、真面目な場・高級な場にはふさわしくない、立派な大人が一生懸命追求するものではない、とみなされているのではないか。囲碁・将棋は「和服で対局する立派な日本文化」みたいなイメージがあって尊重されている方、というか、ボードゲーム類で唯一(二)尊重されているものだと思う。まぁこれらのプロは江戸時代から俸禄をもらっていたから*3、という歴史的経緯も大きいのかな。家康は偉大だ。


どうでもいいつぶやきだが書いてみた。twitterに書いてもよかったけど、あちらに書くと「オフ会終わった直後に悪口言い始める人」みたいな感じにちょっとなってしまうかと思ってこっちに書いた。ルノアールの悪口ではあっても会の悪口ではないから別にいいんだけれども。

*1:後者は怪しいので止めろと言われるかもw

*2:被害妄想かもしれないが

*3:将棋に関して正確に言うと今の「プロ」と江戸時代の将棋指しの家元に直接の歴史的つながりがあるわけではないし、江戸時代のプロは強ければ誰でもなれた、というものでもないが