http://kyodo-sankaku.u-tokyo.ac.jp/activities/model-program/library/documents/Kyouiku_tsushin6.pdf


冒頭に貼ったのは、日本で初めて帝国大学東北帝国大学)の女子学生となった3人の女性、すなわち、黒田ちか、丹下ウメ、牧田らくの1人、牧田らくに関する記事。
3人のうち、黒田と丹下の二人は大学卒業後、研究者になるのだが、牧田らくだけは、その後、画家金山平三と結婚し、職業的な学者にはならず、生涯金山を支えたという。
同じ数学を志すものとしての生き方、また同時に女性の生き方について考えさせられる。


pdfの最後で紹介されている、牧田らくの最後の発言(「私が主人の犠牲になったと言って下さる方がありますが、とんでもございません〜」)が泣かせる。


無論、例えば夫婦がいたときに、専ら女性の側が、自らの夢を諦めて配偶者をサポートする生き方を選択させられたという時代の情勢については、遺憾に思わざるをえない。
ではあるが、同時に、社会の趨勢や時代状況に強いられたものであったとしても、それが彼女の勇気ある主体的な選択である、という点については決して否定できないと思う。
彼女の選択は、家父長主義的な社会が強いたという面が強いのだけれど、一方の性に犠牲を強いる社会状況は憎むべきなのだけれども、だからといって、彼女の人生まで否定するのは違っていて、社会制度に対する評価と、個々の人生に対する評価は全く次元が違う話である。


ま、身内びいきかもしれないですけど、そういう意味では、数学って、仮にそれを専門的に用いる職業につかず全く関係ない分野で生きていったとしても、心のなかで数学の灯火を大事に保ち続ける、という生き方はしやすい学問なのかな、という気はする。まぁ、僕は未だ数学の奥深いところに触れるに至っていないので、先人の言葉などからの推測ですけれども。


とにかく、困難な状況にありながらも立派に学問をやり遂げた先達に対して、自分は不甲斐なさすぎて申し訳ないという気持ちでいっぱい。


まぁ言うて、4月は新生活に慣れる月間、5月は五月病月間と考えて、6月は加速していきたい所存。
急に卑近な話になってしまったけれども。