ある種の様式

やっぱりどうも、僕は多数派のコミュニケーション様式をとっていないような気がした。
決してコミュニケーションが全くとれないというわけではないのだけれど、普及している様式でコミュニケーション取るのに労力を要するって感じなのではないか。
そういうようなことを感じる機会があった。

具体的なことを何も書かないのもあれなので少しでも具体性を高めようとする*1

Aさん「○○なんだよなー」
僕(○○が××なのは当たり前でわざわざツッコむことじゃないな、××であるという前提で△△を□□するということ、また□□がhogehogeな側面もあるということが重要だ……)
Bさん「××なのかよ!」
一同「ワハハ」
僕(なんでいちいち××だという自明なことに言及しなきゃいかんのだ……)

というような事例。これはかなりよくある気がする。

また、個々の人間の偶然的な人生よりも、その背後にあるより普遍性が高い事実の方に興味を持つ傾向があると思う。
例えば、この前ある人がテストで悪い点取っちゃったーということよりも、なぜこのテストは難しいと感じる人が多いのかという事実を説明する方が興味深いと感じられるというか。

しかしまあ、自分でフォローしておくと、単に情報として取り入れるなら普遍的なことの方を好むというだけで、他人に興味がないわけではないと思う。
ただ、前述した事情により、コミュニケーションの様式を合わせられる人の幅が結構狭いので、人見知り的な傾向はかなり強いと思う。

えー、この記事、「俺は友だち作れないんだ」という暗い気持ちになったときに書き始めた文章なので全体的に暗い調子だが、今は別に暗い気分じゃないので、話せる人とは全然話せるように思える。
「多数派」が苦手であるというよりはむしろ「ある特定の」コミュニケーション様式が苦手なだけで、それ以外だったら普通にいける気もする。その、僕と相性が悪いというコミュニケーション様式とはどんなものか?と正確に同定はできていないし、それが一貫性を持ち、ある特定の人々によって継続的に用いられる何らかのコミュニケーション様式であるのかどうかは定かではないけれども。

*1:当然ながらこの事例は僕が意識的に分析できていると思っている一事例であって、必ずしも典型的な事例であるかはわからないし、そもそも事実を正確に捉えられているかもわからない