無能について

名門大学の理学系の学科を卒業した君は、社会に出てお金を稼ぐということに忌避感を覚えているかもしれないし、働いたら負けかなと思っているかもしれないし、研究者になれなければ意味がないと思っているかもしれない。
自分には労働は向いていないかもしれないと思っているかもしれない。
実際、ある種の能力にスキルポイントを振りすぎている君のスキルセットは、いくつかの仕事にはあまり向いていないだろう。
仕事によっては、クビにならないギリギリのラインを維持するのがやっとかもしれない。
私も人生経験が浅いもので、「大丈夫、滅多なことではクビにはならない」とは確言しかねる。
就活で盛りすぎて(?)向いてない仕事につけば、君はたちまち無能扱いされるだろう。

ただ、これだけは自信を持って言える:大丈夫、世の中無能ばっかりだから。
どんなに小さな*1失敗を重ねてきたといったって、どんなに自虐したって、客観的に見れば学業において成功につぐ成功を重ねてきた君からすればびっくりするほどの無能がいけしゃあしゃあと新入社員の君の何倍もの給与をもらって幸せな人生を送っている。
だから、おびただしい数の無能の列の末尾に自分をおずおずと追加することに対し、何も恥じたり恐れたりする必要はない。むしろ通常の無能に比べればよっぽどマシである。
むろん親や友人や良識ある大人からこういうふう(「いやいや全然君も捨てたもんじゃないでしょ」)に自分からすれば何とも思っていない部分をほめられても、プライドも理想も高い君はうれしくもなんともないわけだが、いざ無能の列に自分を加える段になると途端に、無能の中でも捨てたもんじゃない無能だということが大変ありがたく思えてくることもある。
まぁそうは言っても捨てたもんじゃない無能だというのはせいぜい慰めでしかなく本当は無能の名を返上するのが一番なのだが、私が強調したいのは、世間の基準はデフォルトが無能なので、無能からのスタートはそれはそれは大変結構な上々のものであるということだ。

それに、君が無能の名に甘んじていても、情熱を注いだものは、決して君を離しはしない。だから、結局君はただの無能にはなれない。(というか君が曲がりなりにも修めた学問は本来そのようなuniversality(というかubiquity?)を持っているはずだ)

だから生きよう。

(平成30年2月 辞表を書きながら)

*1:君の失敗なんてどう考えても「小さな」としか言いようがない!