「唯物史観」的な発想の仕方によれば、企業文化というものは決裁ルートや会議の進め方や席の配置など有形無形の「制度」によって、いや、それ「のみ」によって形作られる、と言いたくなる気がするが、実際にはそれは満点の半分しかもらえない不十分な答案ではないか。
実際には、社員それぞれの内面的な思考様式(それがどのように作り出されたものにせよ)に基づいて人々は仕事をするのではないか。
つまり、標語的に言えば、コンサル社員は実際にコンサル的に思考し、官僚は官僚的に思考しているのではないか。
企業文化とは、何の内部構造も仮定されない無個性の理想気体のような無名の粒子が制度によって「圧力」を受け、適当に誘導されて生み出される流れのようなもの、などではなく、特定の思考・行動の様式をとるよう「教育」され(あるいはあらかじめ適合的に選抜され)た人々が生み出すものが企業文化なのではないか。
もしかしたらこれは当たり前のことであろうが、「内面」なるものをまずは仮定しないで考えてしまう旧弊なくせのために、このように考えうるということはちょっとした「発見」だった。