道程

もう今年度で35歳ってやばいなまじで、誰がどう考えても若者とは言いがたい、アナゴさんくらいの年齢になっている、同級生たちはどうやってこれに対処しているんだろう、一つの方法は子どもを作ってその成長で自分たちの年齢はうやむやにしてしまうというものだが。
みんなで手を繋いでゴールしたい、しかし、分かってる、ときには共闘不可能なくらいに状況が違ってしまっていることは、でもせめて、心の持ちようだけは。

ポエトリーリーディングパートおしまい)

しかし、振り返ると自分も、30代に入ってから、新しい家族を得、料理と労働とパワハラ対処と英語と(少しの)数学ができるようになり、明らかに成長している。
ひとつには、労働し始めたのがよかった。
ネット上で幅をきかしているある種の文化では、ブラック労働や搾取を警戒しすぎるあまり、労働にまつわるすべてを呪わなければならない風潮を感じるが、(少なくとも、人によっては、状況によっては、)労働はいい。
それを労働と呼ぶかどうかはさておき、ある種のinstitutionalな強制力がなければ少なくとも自分は何もできないタイプ。

そしてもうひとつには、18歳くらいから28歳くらいまで自分はなにがしかひねくれていないとだめなのだ、という呪縛にずっと囚われていて、抜け出す手段が見つからなかった。
実際のところ、多くの人(生存バイアス・観測バイアスがあり、実際は「多く」でもないかもだが)は特段ひねくれる必要も感じず、ずっと素直なままだ。いやもちろん、「多くの人」など関係ない、大事なのは君だけなのだが。
とにかくある種の人、少なくとも自分はそうやってひねくれる必要を感じていたわけだが、それは自らのアイデンティティを探し求める過程であった。
別に何が変わったというわけではないのだけれど普通に素直に生きていいと気づくまでにゆうに10年はかかったのであった。

要するに、18~28歳の10年間は、自分にとって思春期・反抗期だった。
たぶん、素直に東大に入って素直に生きる、ということが納得がいかなかったんだろう。いや改めて考えてみてもその気持ちは分かるし、もう一回生き直しても「素直に」は無理だろうけど。シニカルに言えば今は、素直になれる環境がたまたま整っただけかもしれない。
あと、親に対する意地みたいなものもあったんだろう、親の前で素直に笑っていられるものか、というような。
親のことを別に今更悪く言いたくはないのだけれど、そのままで普通に、笑ったりして生きていればいいんだ、というメッセージを受け取ることがまれだったから(受け手の問題でもあるだろうけど)。
あと、先程institutionを称揚したところだけど、やはり組織というのは負の側面もあって、大学の、1年生・2年生…と延々続く階梯になっているところは、一旦ダメだと延々抜け出す術を見失ってしまうところがあるかもしれない。
正直、今も仕事になんとか食らいつけているからなんとなく「まぁやれてるな」と思えてるだけで、ダメだ〜となってしまったら厳しいかもしれない。
ただ5年間働いてみたのを振り返ると、後半1,2年くらいは、たまに褒めてもらうこともでてきて、「自分もなかなかのものだ」と思えるようになってきた気がする。やはり自分は褒めて伸びるタイプなので、今はまあまあいい精神状態で働いているところ。
ということでなんとなくいろんな幸運に恵まれてるだけなんだけれども、まぁその幸運の下では、素直になれてよかったなと。

思春期とは自分は別に特別じゃないんだということを受け入れる過程なのだ、と俗にはよく言われるけれども、未だに自分は特別なのだと思っている。
ただ、日々みんなと同じように平凡な仕事をして生きていたくないと思いすぎて反抗期に突入してしまった面があると思うけれども、別に仕事は平凡でも、その仕事のやり方や生き方で十分オリジナリティは出せるということは学んだ。
何なら、これだけのブログを書きおおせることができるというだけでも、お釣りが来るくらい立派なことだ。『人生喜びも悲しみも幾歳月』のように灯台守でもして生きようか。
ただ、僕のように面白いブログが書けるわけでもなく仕事も平凡な場合はどうすればいいのかは特に思いつかないわ、ごめん。別にすべての人を幸せにする方法を知ってるわけじゃない。
しかし、僕も老いてやがて面白いブログのひとつも書けなくなるかもしれない、そうなったら人生残りは、家族を愛するということしかないと思う。
先ほど、仕事が平凡なら面白いブログのひとつでも書けないとダメだ、というようなことを言ったけれども、実はそれは裏で妻とよろしくやっているのを隠しているのであって、本当は、何もなくとも家族とおいしいものを食べているだけで幸せだと思う。料理ができてよかった。おいしいものが食べられることは、本当にすばらしい。その楽しみが奪われるなら、年収3500万円くらいもらう必要がある。
だんだん眠くなってきて、記述が雑になってきた。
結局、誇りか愛か希望か何か、そういったポジティブなもの、1個だけでもをcherishしていられればよいのだ。それがなければ、結構つらいと思う。自分がもしそれらをすべて失ったら、何らかの宗教に入信する必要がある。

ということで謝辞を書かないといけない、妻よありがとう。