一直線

仕事を始めてから常々思っていたことだが、極論すれば仕事のやり方には、
目的意識を持って粉骨砕身して働く

内的なモチベーションも責任感もなく、ただ目の前のことを淡々とこなす
かしかないと思っている。

会社を家族のような存在、コミュニティとみなして愛社精神を発揮して忠誠を尽くすWork ethicなどは労働者を動員するための装置にすぎず、社畜になるのはダサい、恥ずかしい、洗脳されているのであって、職場と対等に渡り合って適当に手を抜きつつこなすのが正しいやり方だ、というような風潮が主流だと思う。

が、確かに労働倫理批判には一理あるけれども、ではその愛社精神の代わりに来るものは何なのか。
内側から湧き出るモチベーションなしで何かいい仕事を成し遂げた人はいるのか。
いや、全称命題やその否定は主語デカすぎなのでやめておくとして、少なくとも自分に関して言えば、
「よし、今日は適度にやろう」と思っていい仕事はできた試しはない。
仮に愛社精神でないとしても、「よし、今日はこの仕事を完膚なきまでに片付けてやろう」とかそこまでいかずとも「今日はこれをやるぞ」とか「みんな忙しくてやれないだろうから有能ワイがやったるわ」という虚栄心とか、何らか、自分の内側からモチベートされている状態で行った仕事、何らかのかたちの情熱を持って行った仕事だけがいい仕事たりうる。
そして、その情熱は、「愛社精神」である必要はないかもしれないけれども、何らかのそれに類する情熱のソースたりうる、意味の源泉がなければ湧き上がってこないのではないか。
結局のところ、謎の信仰がなければ「手を抜かずにしっかり仕事をこなす」なんて誰がするのか?(まーた全称命題に行き着いてしまったが)
モチベーションがなければ易きに易きに流れる以外の末路はないと思う。だって仕事なんてめんどくさいのだもの。近代以降の労働は人間の本性に反しているよ。
そして人間の本性ということで言えば、コミュニティ意識とか職業倫理のような「大きな物語」がないと内側からモチベーションを湧き出させるのは難しい(クリエイティブな仕事であればそれはそのような社会的な使命感のようなものではなく、より素晴らしいものを求めるもっと個人的な情熱になるかもしれないが)。

しかるに、昭和の会社のパターナリズム批判は結構だけれども、その代わりに何によって自らをモチベートするのか。
「この物語は間違っている」という批判は大変よろしいと思うが、では代わりにどの物語を使うのか。
働かされる側にとっては代替の物語の給付がエッセンシャルだ。

別にいい感じの現代的な代替案があるわけではなく、自分としては、結局のところ恥ずかしめの大きな旧い物語かそのマイナーアップデートに乗っかるくらいしか解決策は見つかっていないのである。


前置きが長くなったが、自分も留学のために、大きな情熱を持って取り組まないといけないと思った。
そうでなければ、日々、仕事と少しの家事で疲れ果ててしまう。
もう一個プロジェクトを挟み込むのは並大抵のことではないよ、率直に。
しかし、別に外付けの物語というわけじゃない。「君が選んだ物語」なんだ。
ということで東大一直線的なノリでやっていきたいと思う。