最近、子はかなり偏執的に「今日何曜日?」「今日幼稚園お休み?」「今日寝たら何曜日になる?」「〇曜日の次は何曜日?」と聞いてきていた。
おそらく、幼稚園の朝の活動で先生が最初に日付と曜日と天気を確認するから、曜日というものに興味が湧いていたのだと思う。
この曜日の認識について、今日重要なアップデートが2つあった。
初めての憂鬱な月曜日
今日もお外で遊んで、さあ家に帰ろう、という時に「明日何曜日?」「月曜日だよ」「月曜日幼稚園お休み?」「月曜日幼稚園あるよ」と答えたら、ひどくショックを受けて、「起きたら日曜日じゃない?」などとかなり無茶な願望を述べて、明日が月曜日という現実から目を逸らそうとしていた。
今までも「明日幼稚園あるよ」と答えてネガティブになることはあったのだが、今日は
- 日曜日というのが楽しい曜日で、
- それが終わると月曜日が来て、
- お休みではなく幼稚園に行かないといけない
という、曜日の順序と曜日に結びついた活動の性質を理解した上で「正しく」ショックを受けていたように見えた。
初めての周期性の認識
前述のとおり最近は曜日にかなり興味を持っていたのだが、どう見ても単に無限に連なる曜日の名前の列としか捉えてない様子だった(無限に質問し続けてきたのがその状況証拠ではある)。
が、今日、いつもの「明日何曜日?」とかをやっていたところ、急に「戻ってくる」という言葉を口にした。
日曜日が「また来る」ことを「発見」したように見えた。
これまでも「また日曜になるんだよ」などと多少曜日の周期性について言及はしていたのだが、あまりピンと来ていない様子だった。が、今日突然、周期性を発見したのだ。
いいニュースと悪いニュース
おそらく上記の2つの「発見」が時を同じくして起こったことは、偶然ではないのであろう。
日曜日は楽しく、月曜日は憂鬱だからこそ曜日に個性があり、個性があるから周期性に意味がある(各曜日の性質が全くランダムであったら、周期性に何の意味もない)。
しかし、「また日曜が来る」と思えるから、月曜が憂鬱でも重い腰を上げて1週間を始めることができる。
彼は日曜が終わってしまい、月曜が始まることに絶望した。しかし、だからこそまた日曜が来るという希望を発見できた。
曜日の構造の理解は痛みなしでは得られなかった。
それは、世界を知ることの痛み。知恵の樹の実。
ハロー、ワールド。