http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20080925_strange_ring/
無論、若くて健康な皆さんであれば、この結婚指輪に関するgigazineの記事を読んで一瞬で、あるメタファーのことに思いが至る*1ものと思いますけれども、ボルトとナットについてはともかくとして、LANケーブルという現代的なインターフェイスにおいてもこのモデルが用いられているというのは興味深いですね。
(ここ以降は、主に(ボルトとナットではなく)LANケーブルの事例に着目します)
どう興味深いかと言えば、このモデルが、人間や多くの生物がこのような生殖方法をとるが故に、こうして人間の作り出す道具にも適用されているのか、それとも、このモデルは、情報をやりとりする(生殖もまた情報のやりとり)ための効率よいモデルとして、ある程度必然的に選択されるのか、どちらなのか、ということです。
まあこの問題に関しては、この「必然的に選択」という文言の「必然的」という言葉を、どのレベルの必然性として解釈するかによってだいぶ変わってきますよね。
物理的必然性(この世界の物理法則を保った別の可能世界を考える)なのか論理的必然性(可能世界に制限を加えない)なのかもっと別の必然性なのか。
まあ問題が広すぎて見当もつきませんが、「必然的」という言葉を論理的必然性ととるならば、このモデルは必然的ではないでしょうね。
そもそもこのモデルが少なくともある程度効を奏するのは、人間の身体やコンピュータのように、内部と外部がはっきりと分かれているからだと思われます。なぜならば、内部と外部がはっきり分かれていることは、「内部に注入」というこのモデルが成立するために必要だからです(もし「内部」が定義できなければ、「内部に注入」という文がナンセンスになる。余談だが、ここで「文がナンセンスになる」という文の成立条件に関する議論をもって、モデルの成立条件を説明することが許されるのは、文もまた、(例えば)図と同じように現実の像だから←『論理哲学論考』で示されている通り)。
などと書きながら気づきましたが、必ずしも内部と外部の境目は明確ではないですね。端的に言えば膣は外部なのか内部なのか?ということですけれども。
しかしまあこの問題には今回は目をつぶるとします。
まあとにかく、(本当にきちんとしたものかは措いておくとして)内部があるからこのモデルがあるわけです。
一方、ライフゲームの世界においては、ライフゲーム世界の物理法則によって、相手に近づくだけで相手に影響を与えることができます(また、それ以外に相手に影響を与える手段はない←まあこれは現実世界もだいたい一緒だけど。EPR相関とかが、現実世界の例外としてあるような気もしますが詳しくないので(例外なのか例外じゃないのかちょっとわからない)あまり触れないことにします)。
で、ライフゲームの世界だと内部と外部はより曖昧ですよ……という流れに持っていこうとしていることはもうばれてるでしょうが、冷静に考えると、ライフゲームでも「このモデル」が有効になる可能性はありますね。
たしかにライフゲームにおける我々に馴染みの原始的な物体では、内部と外部の区別はあまりないでしょうが、より複雑な(それこそコンピュータや生命程度に複雑な)物体において、ある程度丈夫な「皮膚(に相当する、ある程度色々なものが衝突しても自己修復できる膜上のもの)」を持つ構造はありえます。
大体、現実世界においても、原子レベルで考えれば、「膜」やら「内部」なんて到底ありえないように考えられるわけで、単細胞生物ほどの複雑な構造になって初めて「内部」を持つわけですから、ライフゲームにおいてもそれほど複雑な構造を考える必要があったとしても、何も不思議ではありません。
というわけで完全に論旨が破綻しましたけど、これはライフゲームが、我々の住む世界によく似た物理法則(影響を与えるには近づく必要がある)を持っていたからこうなったという面もあるわけで、では、さらに別の物理法則(遠ければ遠いほど影響を与えるとか)を考える場合、どうなるかまったく想像もつきません。
大体、「世界の性質を調べる」なんて並大抵のことではないですよ。物理法則があるかどうかもわからないし(っていうか、圧倒的に多くの可能世界には物理法則はない←バベルの図書館で内容のある本がほとんど見つからないのと一緒で)。
結局思考だだ漏れ文章に終わりました。まさに雑記。
*1:つまり、どちらの指輪をどちらの性別がするのか、という話