古典的

イギリスに暮らしてはいるが、言語環境としては英語ネイティヴたちの中で暮らしているわけではない。
大学とか留学生寮とか。

なので、phrasal verbのような、通じるかどうか分からない表現はむしろ使いづらい。

一方、IELTSではこれらを使えるかどうかが殊の外重視されており、「自然な英語」をしゃべれるかどうかが問われるが、自分の普段の言語的環境とは真逆すぎて、妙にsnobisshで言語的純潔主義に寄りすぎなように感じられてしまう。
もちろん僕も少ない語彙に甘んじているわけではないが、普通の会話が聞き取れないという日常の「困りごと」の解決にphrasal verbの学習がそれほど役立つわけではないと思えてしまうのだ。
まぁ「望ましい」と考えられる内容の提示と密接に関係した試験範囲と実用性の対立、というような論点は古典的であろうけれども。

2024年のコンセプト

・まぁ基本みんな楽しく生きているだけでいい
家族3人が楽しく暮らせるようにするのが大事すぎて、他は割とどうでもいい感はある。
もうこれだけで基本的に今年は十分。
育児してたらその他の余計なこととかできないのが当たり前ですわ。
だから優秀な成績で修了したりいろんな本を読んだり勉強したり今後のキャリアにつながることをしたりといったことは期待しないでほしい。(目指さないというわけではない)

・惨めさを感じないで日々生きる
まぁ1ポツがありつつも、このことを達成したい。僕は「今日もダメだった」と思って終わる日がデフォルトなんだけれとも、そうじゃなく誇りを持って生きたいわけ。

・現状を受け入れて、常に実現可能な小ステップを実行する
2ポツめを達成するためには、しょっぼい現状を受け入れて現実的にやれることを考える必要がある。
まるで「進捗ダメです」と報告しても怒らず現状のベストを指示してくれる上司のように。
(どうでもいいけど、僕は就職について通常の修士の人より5年遅れているので、仕事に関する話は29歳くらいの精神年齢だと思って聞いていただきたい。たぶん僕の年代で優秀な人は「よき管理職となるためには」みたいなことを考えあるいは実践しているんだろうけど僕はそういう段階にはないということをご承知いただきたい)
早速、「抱負」に挙げた1/3までの課題については、くっそしょぼくなることを受け入れている。
「覚悟した者」は「幸福」であるッ


・問題を解くときだけじゃなくて日常でもそのよい頭を使ったらどうか
・5分で終わることは常にすぐ終わらせる
・eat frog in the morning
いやこれらはそうすべきと分かっているんだが、まぁ気をつけつつも僕はあまり実行できないだろうね。

2024年の抱負

まずね、1年の大計画を元日に立てるのは圧倒的に間違ってるんですよ。
俺ぁ馬鹿だからよぉ、難しーことはわからねぇがよぉ、それが間違ってるってことだけは分かる。
というのは、大それた大目標はそのために日々何をしたらいいかが分からなすぎるから。

ということで達成できそうですぐにでも取り掛かれそうな目標だけ立てる。

(1/16追記)
結構達成しているので偉い。
が、大まかでもいいので目標期日がないとよくないかと思い、目安を記入することにした。
しかし、達成できなくても萎えないことが大事である。

(1/6達成) GP登録する

(1/3達成)1月3日までの課題を期限内に提出する
(1/18達成)授業の動画を観る

(1/15達成)"Freedom Evolves"のChapter 1を読む
(1/10達成)[吉田]問7.1.1を解く
・[吉田]問7.1.3, 4, 5を解く(〜1/23)
・[Goodfellow]p.171-174の字を読む(〜1/17)
(1/16達成)[Harville]15.4節で手を動かす
・[PRML]2.3.1を読む(〜1/19)
・[NLP]Chapter 2を読む(〜1/23)

・深呼吸する(健康によさそうだし気持ちいいから)
・毎日家族を食べさせる

達成できたらまた適宜追加する。
変更もありうべしで。

再読

いや、自分もしてしまうんですが、読書記録とかブログとかで「〇〇を再読」と書くのは少しダサいところはある。「再読」の部分ね。「この本を読むのは今回が初めてじゃありませーん」とか、「この名著を読むのがまさかこの歳になって初めてではありませんよ」ということ。

まぁ確かに必読書を読んでいないことは少し恥ずかしい。これを恥じる気持ちがなければ頑張って教養を高めようというモチベーションも湧いてこない。
「オタク(/その他の属性)で知識がないことは何も恥ずかしいことではない!」というような昨今の風潮には与しない。

再読の人の場合は、確かに一度読んでいるので、「自分はそのような恥ずかしい人ではないですよ」ということだ。確かに自分をそんじょそこらのトーシロと思ってもらっては困る。その気持ちは分かる。

が、自分としてはそういう自分の知的属性を明らかにするためのコミュニケーションというものはダサい、と思ってしまう。
これは自分の社会性の欠如によるものかもしれない。
結局、コミュニケーションは相手の属性を見てしているものだ。
喧嘩をふっかけるなら弱そうな奴に、理解力が低そうな人には説明を丁寧に、社会的ステータスが高そうな人には丁重に、それを適切にできるのが大人であるということだ。
全ての人に対しフラットで事実ベースでしかコミュニケーションしないのは、単に適切でないだけ。
であるからして、自分の知的階級を明らかにして適切なコミュニケーションの助けとするのは、なにもダサいことではないのだろう。「自分はこれを初めて読むような無教養な人間ではない」「よろしい、ならば知的な話を始めよう」

要するに適切な大人になりたくないという僕の子どもじみた意地からなのだが、それでもやっぱり、自分の属性を明らかにしていくコミュニケーションに少しダサさを覚えてしまうのだった。

それに、再読の際に「再読」と言ってばかりいると、自分は読んでいるべきはずの本を本当に初めて読む場合に、「初読」と言えなくなってしまう気がする。
自分は「今ごろこの本を読むような恥ずかしい人間じゃありませーん」と言いすぎると、本当に恥ずかしいところがない人間であるかのように錯覚してしまう。それは結局のところ生きづらくなってしまうような。

でも恥ずかしさって結局最終的に恥ずかしいだけで金取られるわけじゃあるまいし、恥ずかしいことは悪いことではないのではないだろうか。
恥ずかしさとめんどくささは、「それがあると何が悪いのか」ということがよく考えるとよく分からない。
恥ずかしさの哲学、めんどくささの哲学については今後も考えていきたい。

まとまりがないけどこの辺で。

operateとsort

英語の語法について気づいたことを紹介していきたい。

「泥棒」営業中

観光地とかでよく見る看板

Thieves known to operate in this area.

結構決まり文句となっている。
operateが使われるのが面白い。
ODEにはcontrol the functioning of (a machine, process, or system)とある。
何かシステマティックなもの、業務的なものに使われることが多い(e.g. this company operates many factories)と思うが、

仮説1

泥棒という職業の人がその業務を行う的なニュアンスだろうか?

仮説2

あるいは、泥棒は我々一般市民からすると「遠い」存在、異質な存在である。
そういう心理的距離が遠い存在は、何か非人間的、または「機械的」に動いているように感じられるから、operateが使われるのだろうか?

sorted out

我らが愛すべきTube(ロンドン市営地下鉄)に乗る人であれば毎日耳にタコができるほど聞かされている文句が

see it, say it , sorted

である。
要するに、テロ警戒のため、見慣れないものを見かけたら通報してください、という呼びかけなのだが、
注目して欲しいのは"sorted"である。
カエサルの「来た、見た、勝った」に引っ掛けるために、頭韻を踏む必要があったということも当然あるが、イギリス英語では"sort out"を「解決する」の意味でよく使うと思う。separable("sort something out"と言える)。
原義は(sort単独でもsort outでも)「整理する」。
"sort out"の方がよく使う気がするが、sort単独でも「解決する」の意味になる模様。
「順番に並べる」の意味の「ソートする」ではないので注意!
特定の業界で、「整理」が(「論点整理」から転じて?)「(公式・非公式の)見解、建前、解釈」という意味になる(e.g. 「我々の整理では、それは〜ということになっている」)のと少し似ているか。

このメッセージが録音されたテープだと、テロ対策なので当然自信ありげに、
See it. Say it. Sorted.
とはっきり言い切ってる感じで言いきっているのに対し、
人間がリアルタイムで読み上げるアナウンスの中で読み上げてるときは、
やはり生きている人間なので、
「"sorted"とか言うけどさー、そんな爆発物かもしれないものを我々だけで解決できるかよ……
はーあ、そんな変なものの対処させられたくね〜〜〜」
という気持ちがどうしても現れてしまうからか、なんとなく逃げるように
see it, say it, sorted
と「決まり文句なのでしかたなく読んでますよー」という雰囲気を出して読んでいるのが面白い。

worldという単語の「月下の世界」という意味

worldという単語は、人々が暮らすこの世の中、あるいはもっと広く(より物理学・哲学的な)一切の事象が起こる舞台としての、価値中立的な「世界」の意味の他に、spiritualな世界、天上の世界、神の世界と対置される「現世」「月下の(sublunar)世界」(さらに狭めて)「世俗社会」の意味がある。
この意味で使われる時は、たいてい、語り手または語り手が語っている人々の「現世的なるもの」に対する否定的な価値判断が込められている。

the world(名詞)

例文

renunciation of the world, followed by isolation in a life of prayer

祈りを中心とした孤独な暮らしをともなう現世の否定
この意味については、ODEではhuman and social interactionという説明が与えられている。

worldly(形容詞)

his ambition for worldly success

現世的な成功を求める彼の野望
(現世的な成功=富や地位、名誉)