祝辞

https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message2023_03.html

 

東大の入学式の祝辞がいいということで少し話題だ。

しかし自分には違和感があった。

みんなそんな立派じゃないだろ。いや、少なくとも立派じゃない人も少しはいるだろ。

そんな立派な道を説かれて自分は対象外じゃんと思ってしまう。

 

 

>成長できず、なりたい自分になれないリスク、世界に対してしたい貢献ができないリスク

 

ここがいちばんイラッとくる。

まさにそういう人生を生きてる我々になんて酷なことを言うんだと。

そして、そういう言葉を新入生全員に投げかけることは合っているのか?と思ってしまう。

 

そこで僭越ながら、自分なりの祝辞を書く。

 

 

令和5年度東京大学学部入学式 祝辞私案


新入生の皆さん、そしてご家族、ご親族の皆さま、おめでとうございます。

 

さっそくで恐縮ですが、皆さんのうち何割かは、意に染まない人生、不本意な人生、ろくでもない人生を歩むことになるでしょう。また、それが自らの意思によるものであれ、不本意なものであれ、何人かは留年し、別の何人かは退学することになることでしょう。

 

東大出てこんなものか?と思うかもしれません。

こんなはずじゃなかったと思うかもしれません。

 

しかし、ろくでもない生涯を送ること自体は何も特別なことではありませんし、恥じることはありません。

みなさんの多くはまだ一度も失敗していない若い人でしょうが、人間大抵は後悔にまみれてろくでもない人生をなんとか日々生きているのです。しかし人生とはそういうものですから仕方ありません。

また、東京大学という世界に数多ある大学の一つに入学し卒業しあるいは退学したということに何も特別な意味はなく約束されるものは何もないので、別にカスみたいな人生で結構なのです。

 

しかし、どんなに自らの責めに帰すべき事情により、あるいは環境や不運のせいでやむをえず、苦悩や不遇や不幸のさなかにあっても、決して誰からも奪われることがない、誰しもに与えられた恩寵が一つだけあります。

それは、「学び」それ自体です。

 

第一に、学んだことは誰にも奪われません。

クソみたいな仕事をしていても、かつて学んだことはいつでも、あなたの中にあり続けます。学び自体の価値は、外面的な条件に左右されることなく、あなたの中で真珠のように輝き続けます。

あなたが学んだことはあなたの職業生活上活かせる場合も少なくないでしょう。しかし、そうでなくても、少なくとも奪われることはありません。

専門とは違う就職をしようと、専業主婦をしようと、ニートをしようと、また、病める時、貧しい時、子育てをする時、介護をする時であっても、学びはあなたの生涯において、一つの視座を提供してくれることでしょう。夕焼け雲をみて振動波動論を思い出すやもしれません。Twitter上の論争に教育心理学が役に立つこともあるでしょう。

個人の外側で何が起きようとも、学び自体は生き続けます。

 

第二に、学びはいつでも戻ってこられます。

大学で学んだことなんて、そのうち忘れてしまうことでしょう。というか、基本的に全てのものごとは忘却の定めを免れえません。このことは、皆さんがすでに大学受験の内容を忘れ始めていることからも明らかです。

しかし、なぜ忘れたことを学び直してはいけないのでしょうか。あるいは、別の分野を通じて新たな視点でかつて学んだことを側面から眺めることもいいでしょう。

そもそも、学問は日進月歩で、5年前の常識はもう古いなんてことは日常茶飯事です。20歳の時に学んだことを、頼まれて、棚からよっこいしょと古びた百科事典を引くように取り出してあげる、そんな学問観は過去のものです。

でも心配いりません。また新たに学び直せばいいのですから。

教育とは、学校で習ったことを全て忘れた後に残るもののことである、という(誤ってアインシュタインに帰される*1)名言のとおり、内容は忘れても、2回目の学びでは、少しは「土地勘」の類が残っているかもしれません。残ってなくても気にしないでください。

大学を去ってのち、あなたが何をしていようと、学びはいつでもあなたの帰りを待っているのです。

ですから気兼ねなく1回目の学びを始めようではありませんか。

 

そして最後に、学びはいつでもまた新たに始めることができるのです。就職その他の人生の色々なことには、残念ながら年齢制限その他の制約があります。しかし、学びにはそれはありません。

試験で就職で、これから失敗する時もあるでしょう。しかし、学びに失敗はありません。

なんなら、あなたは今から東大に入らなくてもいいのです。高卒で60歳まで過ごして、そこから学び始めたっていいのです。

その60歳の人の新たな学びと18歳からの学びに貴賤はないのです。

それはあなた、そりゃあ若いうちに学んでおいた方が、生かせる時間も長いというものです。生涯年収も変わってくるでしょう。そういう意味では、学びの活かし方に巧拙はあるでしょう。

しかし、学びのもたらす副産物に差はあれど、学び自体のもたらす喜びには年齢も国籍も能力も関係ないのです。学びは常にオープンなのです。

 

これから始まる東京大学での学びは、これからずっとあなたの前に開ける学びの、ほんの最初の1ページ目であるにすぎません。

しかし、その1ページ目を開けることができるとは、何という幸運でしょうか。ご存知のように、世界には色々な事情でその1ページ目に至ることができない人もいくらでもいます。

繰り返しになりますが、このthe University of Tokyoに何ら変わったところはありません。

唯一みなさんが恵まれていることがあるとすれば、今こうしてスタート地点に立てているということです。そのことさえ認識してくだされば、あとは退学でも何でも、好きにしてください。

学びはいつでもあなたを待っています。

 

皆さんの東大でのN年間が、みなさまの輝かしい人生に待ち受けるよき学びの伏線となりますようお祈りいたします。

改めまして、おめでとうございます。どうもありがとうございました。
 

誰でもないその辺の人