On temporal follies

遅刻したり期限に遅れたりしがちである自分の分析を今日が何曜日か考える - 留学日記にも少し書いたが、このテーマについては最近よく考えている。
上述の記事でもある種の計算がうまくできないというinabilityとして捉えるべきと書いたが、具体的にはどのような計算ができないということなのか。
「我々」がうまくできない計算の1つのカテゴリが、下準備前処理根回しペーパーワーク移動設定作業見直し睡眠休憩起動etc.にかかる時間で、一言で言えば業界用語(?)で「ロジ」にかかる時間の見積もりが甘いということなのだ。
たとえば何がしかの書類に記入して提出するというような作業について、提出のためのメール作成やら連絡先の記入やらの時間をとっておらず、結局それに1時間くらいかかってしまい遅れて出す。
集合時間に間に合うようにするために乗る必要がある電車の時刻については事前に調べてあっても、それに間に合うように家を出るための逆算に必要な、顔を洗う時間、着替えの時間、食事の準備をする時間、荷造りをする時間(小学校で履修して身につけたこととなっている「明日の準備」ができない)等々が考慮されておらず遅刻する、等々。
(上述のこれらは遅刻してしまう唯一の要因では明らかにないが、とりあえず特定された要因の1つではあるということ)

これらロジにかかるコストというのは、
・十分特定されておらず(多様かつ雑多なコストがある)
・非本質的である(仕事のメインとなる作業ではない)
がゆえに考えるのが困難かつ不快であるため過小評価されてしまうか単に無視されてしまう。
本質的な作業に時間をとりたい、という欲望もまたこれら過小評価の一因であるが、考えたくないから無視する、というのは我ながらいかにも愚かだ。
急がば回れで、結局のところこれらコストを計上していないことで後になって泣きを見るのは自分なのである。

対策

別にいいものはそんな思いついていない。
1つには、論理的に当然予想される対策だが、上記のような雑多なロジのコストを、あらかじめ明示的に計上しておく、というのがありそうだ。
たとえば、課題の提出にせよ、目的地に向かう場合にせよ、「諸々」で一定の時間――1時間なら1時間――かかると想定しておく、とか。
(しかし「計上しておく」とか簡単に言うが、「コストを計上しなければいけない」ということを「知る」だけでは行動の変容は期待できないのは今までの経験でわかってるので、実効性を担保できるようにそのコストの計上方法を自分の人生にインストールするためのメタ方策については別途用意する必要がある。)

あるいは論理的には同じことだが、常に締め切りを1日/1時間前倒しで理解するとか…?
(しかしこの「5分前行動」方式は、「でも『本当の』締め切りは1日後なんでしょ?」ということが狡猾な自分には容易にバレてしまうので、騙しおおせることができないからダメかもしれない。
(しかし、そのような方法もあると知っておくことは何らかの助けになるかもしれない))


ということで、対策の決定版みたいなものは何も用意できていないのであるが、認識するだけでもしないよりはマシなのでその旨承知されたい。