みんな人生を楽しんでたなんて

例えば西城秀樹が『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』で若いことの素晴らしさを説いたのはもう40年近く前、四半世紀よりは半世紀に近い昔であるから、若さの素晴らしさなんてのはとっくの昔に滅びてしまって、楽しみも何もない、ただつらい日々の暮らしがあるだけっていう世界観の中に僕らの世代は暮らしている、というふうに世界を認識していたけど、どうもそれは幻想、少なくとも一部の人だけの幻想だったようで、多くの人は若い人生を思いっきり楽しんでいるみたいだ。
その事実を今日初めて知って大変ショックを受けている。

でもここで哀れを誘ってもどうにもならないことくらいは知っている(まあ十分甘えているのだが……)。
せめて「今日は仕事した」と思って毎日眠りたい。
修道院というのはよくできた制度で、そこに所属してさえ入れば神の道に近づいていると思えるのだから甘えだ。
修道士が羨ましい。
私は俗世の喜びから離れているが神に奉仕する生活を送れているという自己認識が得られる。
これ以上の幸福があるだろうか?
俗世の喜びの「代わり」の喜びを提供している。

しかし、僕の人生はただただ恐れだけで、喜びが訪れる気配がない。
もちろん、1/11の日記に書いたことも間違いだった。

叩けよさらば開かれん、と言うけれども、僕は叩いていないと思う。
神の栄光、いやせめて俗世の喜び、なんでもいいけど求める道を選ばなければ。
「選び」の感覚が大事だ。