今日(10月22日)日経新聞朝刊のコラム「春秋」
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20061021MS3M2100I21102006.html

 ロシア兵は降伏するとき両手を上げて「マツヤマ」と叫んだそうだ。日露戦争の当時、四国の松山にロシア兵捕虜収容所があり、人口の1割を超える4000人が町にあふれた。散歩はもちろん観劇や買い物、道後温泉の入浴も自由だった。


▼戦争とはいえ、のどかな時代だったのだろう。「敵は喜んで降参した。ポカポカ暖かくて楽しい松山の暮らしを伝え聞いていたからぞな」。そう自慢げに語る伊予っ子の口調もまた温かい。市内のロシア人墓地には、遠い祖国を望めるようにと98の墓碑が北向きに並ぶ。いつも地元の中学生が掃き清めている。


▼戦う者どうしが敬い合い、友情があり、恋もあった。異国の人々を思う心のぬくもりは松山では冷めていない。その日露戦争から1世紀。


(略)

というコラムを読んで少々違和感を感じた。


いくら松山の人が親切でも、「喜んで降参した」はないだろう。
命がけで戦った敵の国の捕虜になるのに。
戦勝国がわの論理ではないだろうか。


「戦う者どうしが敬い合い」って、殺しあいしてるのに敬うも何もないと思うのだが。
それに松山の市民の多くは前線に出ていたわけではないんだから、「戦う者」ではないだろう。


まあ何というか美化しすぎだと思う。