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長門の100冊*1を読む企画の2回目です。
1回目は5年前(http://d.hatena.ne.jp/four_seasons/20061025/1161706804)。
今回はこちら。
グレッグ・イーガン順列都市』。

順列都市〈上〉 (ハヤカワ文庫SF)

順列都市〈上〉 (ハヤカワ文庫SF)

順列都市〈下〉 (ハヤカワ文庫SF)

順列都市〈下〉 (ハヤカワ文庫SF)



途中まで読んで、ちょっと「あれ?」と思ったので積んでたのを今日読みました*2


まぁ塵理論ってのは面白いし、妥当な考えだと思う。いずれもっと深く考える必要がある。
例えば、解釈によっては、塵理論からは、「私は不死だ」(ここで、「私」という語はあなたの名前で置き換えてください)という結論を導くことも可能なように思われる。不死が可能になる、じゃなくて、「不死だ」ね。
というのも、仮に僕が死の瞬間を迎えたとする。
しかし、実は今までの僕の人生は全てコンピュータ上でシミュレートされていたもので、「死の瞬間」と思われたまさにその瞬間、病院のベッドで目覚める、ということは可能である(もちろん、可能というのは論理的に可能だということ)。
本作において「コピー」たちの体は生理学的つぎはぎに過ぎなかったように、シミュレートされる世界は完全である必要はない。脳だけほぼ完全にやってもらえれば、私を中心とした100km圏内(下手すりゃ数メートル圏内+背景は適当)は矛盾のないように適当にシミュレートするだけで十分。


つまり、ここで意識の世界線は二手(実際は無限*3に別れるが、簡単のため2つとする)に別れる(正確に言うと、片方の道はそこで途切れるので、「別れて」いないが、便宜上別れていると考えられる)。
(A)ここで死ぬ。意識は途切れる。
(B)今までの人生は全てシミュレートで、病院のベッドで目覚める。
で、ここからが、塵理論の解釈依存なのだが、次のように解釈することも可能なように思われる。
つまり、意識が2つの世界に別れるとき、必ず「私」は意識が続く方を選ぶ
そう考えると、どんな人生も常にコンピュータ上のシミュレーションだったと考えることは可能なので、私は死なない。


ま、どうだろう。どこかおかしいかもしれない。
標準的な塵理論の解釈によれば、AとBに別れる、というところまでは間違ってないと思うんだよ、というか、可能世界が2つに別れる、というのは、これは塵理論以前に、事実ですね。
で、仮にある世界でAに行ったとしても、別の世界では、塵から世界を組み上げてBに行く、これも塵理論的には妥当。


問題は、「「私」はAという死ぬ道には行かない」という主張が妥当かどうか。
というか、読んでる人にはなぜ、そんな都合のいいことが言えるのか、と思う人がいるかも知れないが、理屈はある。


塵理論で、別の世界に別れるとき、別れた後はもちろん他人なのだが、別れる前の意識は区別できない、というのは標準的な解釈だと思う。
とすれば、Aの世界線は、死の瞬間に途切れている。そして、AとBの分岐は死の瞬間に起きる。よって、世界線Aは世界線Bに完全に含まれる。
つまり、実質的には分岐は起きない。
えーと、数学的に言うと、適当に公理系を設定して「意識の世界線の理論」を作れると思うけど、
このとき、定義より、A⊂A∩Bなので、A⊂Bとなる。
的なね。公理系は作っといて。


と、こういう理屈ね。


書きながら思ったけど、世界がなんか計算不可能な関数を含んでたらコンピュータでシミュレートできないね。
でも、実際は意識を騙せればいいので、例えば、仮にこの世界の物理が計算不可能な関数を含んでいるように見えたとしても、実はそれは錯覚で、僕にそうであるように見せかければいい(そのようなツギハギの世界で、僕の現在の意識状態を創りだすことができるはず。たぶん)ので、それは問題にならない。
あと、塵理論に関する反論で、時間は離散的ではないのでは、というのも反論にはなっていなくて、離散的にシミュレート出来ればおkだから。






というか、今気づいたけど、塵理論によれば、少なくとも、全ての論理的に可能な離散的な可能世界は存在するんじゃないの?
えーと、「計算結果」(可能世界のスナップショット)が物理的な形で存在する必要があるのか、それとも数学的に存在すればいいのかによっても違うけど。
しかし、計算結果はそろばんによって計算されてもよく、例えば途中までコンピュータで計算して途中からそろばんに切り替えてもよいのだから(というか、時間的・空間的にばらばらのスナップショットでよい、というのが塵理論だから)、突き詰めると、符号の解釈は任意のものでよく、例えば皿の上にみかんがある・ないという符号語は、それぞれ1,0と翻訳するのが普通だけど、76534895423,2と翻訳してもいいわけで、なんなら、任意の物理的状態を任意の自然数として解してもいいわけで(うーん間違ったこと言ってるかも)、とすると、「計算結果」の物理的実在というのは、実際上ほとんど問題にならず、数学的プラトニズムの立場をとるなら、何の実験をするまでもなく、「全ての可能なシミュレーションは既に存在している」ということになる気がする。
だからまぁ、結局塵理論って可能世界の「強い実在論」に心の計算理論を組み合わせただけのような気もする。任意のものから任意の計算結果を汲み取ることはできず、「スナップショット」は、何らかの一貫性を持った情報処理の一連の結果でなくてはならない、などという主張は、塵理論の一番の醍醐味を放棄しているし、なんらかの物理的実在を解釈する際のコードに対して一定の枷がはめられる、などというのも、どのようなコードが「自然」でどれが自然でないのか、というのを決定する基準がない以上不自然な理論になってしまうように思う。
そう考えると塵理論というのは、大した話ではないか。


というわけで、ランバート人の世界解釈がTVCオートマトンのルールに干渉してくる(より「整合性」を持つ世界線が優勢になる)というような展開には、乗りきれなかった。
というのも、全ての論理的に可能な可能世界は実現するのだから、「整合性の強さ」などが問題になってくる、というのは納得がいかなかったので。もしかしたら塵理論に対する認識が間違っているかもしれないけど。
まぁフィクションの要請上「世界の危機」みたいのが必要なのはわかるけど。
まぁあと、塵理論上おかしなところといえば、エリュシオンが「発進」したのち、少なくとも7000年はTVCオートマトンのルールが破られなかったというのもおかしな話で、発進した直後にTVCオートマトン(以下TVCA)のルールが破れる可能性の方がずっと高い。というのも、「TVCオートマトン世界がしかじかのルールに従っている世界だ」というのは、世界の内部からはわからない(論理的に演繹できない)のだから、発進直後にルールが破れるような世界も十分整合的だから。ここで整合的かどうか、というのは、世界の物理法則が一貫しているかどうか、などという概念とはまったく別の話で、論理的整合性だけが問われるのだから、TVCオートマトンのルールが破れる世界も十分整合的。
そう考えると、作中の7000年間はルールが破れなかった世界というのは、ごくごく低い確率(いやまぁどの可能世界にしようかな、と選択するようなレベルというのは、それこそ神でもない限り存在しないので、確率というのは無意味な概念かもしれないが)でしか生じない世界であって、そうすると相当説得力は減るよね。だから「第二部 順列都市」は、塵理論成功なんかじゃなく、たまたまうまくいった世界線を取り上げてるだけですよね。


あと、トマス・リーマンの「自分を罰するための地獄」ってのも、大して面白く思わなかった。
正直、西洋人の「原罪」とか「贖い」とかの思想は、まったくわからん。
トマス・リーマンのは単なるオナニーだし。


あと、前にmixiで批判したけど、「宇宙人」がちょっとでも人間的な要素を持ってると、とたんに作り物っぽく感じられて萎える。
本作のランバート人で言えば、「科学者」や「科学」らしきものが存在したりするところね。あと、「通訳」を介しているとは言え、彼らとコミュニケーションが成立してしまうところとかね。僕は、「コミュニケーション」とか「科学」とかって、地球の生命とは全く別系統の生命(と呼んで差し支えないようなシステムが仮に存在するとして)にも発生しうるような普遍的なものだとは到底思われない。
「人間的な神」と同程度に嘘臭く思われる。


あと、嘘臭く思われる概念と言えば、ピーとケイトの「愛」ね。
愛という現象は極めて人間的、別の言い方をすると局所的なものであり、7000年を過ごした(しばしば途中で自分たちを「減速」させたりしているとはいえ)彼らが現実の現代のカップルのように振舞う、というのは非常に嘘臭く思われる。


そう、「7000年を過ごしたはずなのに嘘くさい」といえば、エリュシオン人の、現代西洋人らしさね。ま、これはマリアに合わせてるから、という理由もありそうだけど、しかしハヤカワ文庫版下巻p227のレペットの「倫理にもとる」発言とかも、ありえそうもないことにしか思えない。
ま、こういうのは「サイヤ人が日本語喋ってる」みたいな暗黙の了解なのかもしれないけどね。


まぁ、なんかどうでもいいところでボロクソ言いましたが、まぁ塵理論というアイディアは(よく検討したらトリヴィアルな理論かもしれないけど)面白かったです。
あと、やっぱり、ポール・ダラム萌えですよね。他の人物は全部どうでもいいけど。
最後の最後でデレるところもいいし、人間味があっていいと思います。

*1:http://d.hatena.ne.jp/CAX/20060417/nagatoyuki

*2:ちなみに今上巻が行方不明なので、上巻の内容は一部忘れています。

*3:この「無限」の濃度について考え出すと…きりがない。