【地名】の結婚観

【地名】に来て感じる違和感のひとつは、3/21に書いたこととも関連しているが、結構多くの若い人が(仕事上の建前としてではなく普通に卑近な自分たちの話として)「自分は結婚して子どもを持って家を買って」みたいな人生のプランを結構疑いなく信じていることだ。

僕の小規模な世界

僕とかは、「結婚なんて基本はない。あれば僥倖」という世界観の中で生きているわけです。

ニュースとかポンチ絵の中の世界では、若者が結婚から離れているのは、「不安定化する若者の雇用」や「女性が育児するにあたって仕事を辞めなければならないという不安」などが原因であって、「育児を安心してできるような社会にしていくことが必要だ」ってな話になるわけだが、僕の事情が若者の中で典型的かは知らないが、僕にとってはそんなの関係ないわけで、「そもそも恋愛できないよ」っていう状態なわけです。原因はよくわからないけど。

でまあ僕の周りの事情と世間の事情にどれほど共通するものがあるのかは知らないが、結婚云々以前に恋愛したことないですよって人は知り合い少ない僕の周りでは少なくないわけ。

恵まれているねぇ

そういう世界に生きている我々からすると結婚育児とかを普通にわがこととして考えている【地名】の若い人たちの世界観というのは驚愕せざるをえない。

よく引用される『アンナ・カレーニナ』の冒頭ではないが、恋愛できないしたことない人たちができない事情は様々であろうが、【地名】に来る若手エリートたちが結婚育児を当然のこととして受け止めていることの前提には、当然彼らが極めて恵まれた状態にある人達であるということがあるのは確実だと思われる。
もう、この世の春みたいな顔をしている人もいる。

【組織】の世界観

【地名】の【組織】がさっき言ったような「育児を安心してできるような社会にしていくことが必要だ」って言い出すのは別に理解できる。というのは、【組織】として介入しやすいのはそこくらいだから。
恋愛とかしたことないですよ、結婚なんて想像もつかないですよ、という人に【組織】としてどう介入していけるかはまったく明らかではなく、そういう人たちに無理やり子どもを産ませることはよほどのことがない限り難しいわけで、介入は「子どもを持ちたい・結婚したいけどいろいろな事情でできない」という人に対する働きかけが中心になるのは理解できる。
が、【組織】が提唱していることと、「中の人」がどういう世界観を持つかは理論的に言えば独立な話であるはずなのに、【地名】の若い人が結婚育児当たり前という意識を持っているのを見ると、【組織】として提唱している「育児を安心してできるように」論は「ひょっとしてガチで言っているのか……?」ってことになってくる。
つまり、もしかして、若い人はほっとけば結婚し育児をしたいんだけれども、主に経済的事情によってそれができないことになっている、という世界観をベタに持っているゆえにそういうことを【組織】としても言っているのか君たちは…?と思えてきてしまう。

ま、それは戯言にせよ、とにかく若手エリートたちの昔ながらの世界観には驚く。
恋愛離れ非婚化どこ吹く風ですわ。