オーラスで、ラスの人が安い手でラス確定上がりするのって、なんかマナー違反、DQN、タコ代表、のように思われている節があるけど、前々から変だと思ってたんだよね。
点差が大きくて逆転するのが難しい場合などは、安い手でも上がった方が有利な戦略になる場合があると思うから(ってこれは多分正しいと思う。まあ麻雀は複雑なゲームなので、それを証明するのは難しいけど、極端な例では、3位と2万点差の状態で、自分以外の3人がリーチをかけてる状態で、ツモのみをあがるかどうかの選択を迫られたときの、あがらない場合の期待値は明らかに上がるときより低いと思う。1位の祝儀とかを含めても)。


だから、多分ラス確定上がりを悪く思うのは、戦略上の理由よりも、マナーとかそういう次元の話なんだろうね。
つまり、他家にしてみれば、ラス確定あがりをされたら、不快に思うわけだから、やめましょう、と。
そういうことなんだろうと思う。


だが、ラス確定上がりはマナー違反だからやめようという思想が全く理解できない。
理屈はわかるけど、納得できない。


ルールというのは、その枠外だったら何をしてもいいものである筈だ。
もし、そうではなく、ルールには違反していなくてもすべきではない行為があるならば、それもルールに加えるべきだ*1
ルールというのが少々曖昧なので、ネット雀荘大手の東風荘で可能な行為はルール内の行為である、ということにしよう(めんどいのでチャットは無視する)。
これなら多分異論はないだろう。
ここで再び先ほどの意見を繰り返すが、ルール内の行いだったら当然何をやっても許されるべきだし、もしそうでないならそれを禁止する条項をルールに加えるべきなのだ。…(1)
そのためにルールというものはあるのだ。
他にも色々述べようと思ったが、結局僕の考えは(1)の考えに尽きる。
そして(1)の考えに従うならばラス確定上がりだろうがなんだろうが全く問題はないと思う。




とは言ってみたものの、ラス確定上がり反対の人は、「もちろんルールの上ではまったく問題ないけど、やっぱりマナーっていうのはそういうものじゃないでしょう。それぞれの人の心がけの問題であって、ルールでしばるべきものではない。しかし、やはりモラルみたいなものは存在するでしょう」とか「レストランで大声で話すなという法律はありません。しかし、やはりレストランで大声で話すべきではないのです。それがマナーというものです」とか何とか言ってきそうだなあ。


おそらく、問題の核心は、それを自分がそれをされたときに多少なりとも不快になる行為に対して、それが

  • ゲームに必然的に伴う範疇の不快さ…(2)

なのか、

  • とてもゲーム内のこととしては我慢できない不快さ…(3)

なのか、ということだと思う。


(2)っていうのは、例えば、「自分がゲームに負けること」とか「自分が振り込むこと」とか「国士無双1シャンテンだったのに白を全部使い切られてしまった」とか、そういうことに伴う不快さ。
このへんのことは、我慢できる範疇に入ると思う。
ラス確上がりがどっちに入るのか?ということが問題なわけですが、ラス確上がりに反対の人は(3)に入ると思ってると思う。


でも僕には(2)としか思えない。
まあその理由は「だってルールだから」とそれだけなんですが。
だいたい、合法だけどもっと不快なことだっていくらでもあるでしょう。
例えば、配牌でドラアンコでうきうきだったのに、全然手が入らず、おまけに早々と他家のリーチがかかって、それをかいくぐってやっと聴牌して切った牌が当たり牌で、しかもその上がりがたった1300点の上がりだったとか、来る手牌来る手牌悪い手牌ばかりで、ほとんどチャンスらしいチャンスもなしにラスを食らうとか。
それをなぜ我慢するかと言えばそれがきちんとルールに従った結果だからでしょう。
ルールというのはそういうものではないのですか?
まあこんなところで一応区切り。




少し話は飛ぶが、なぜラス確上がりを(3)の範疇に属すると思うのか?という話。
僕の推測を述べると、「ラス確上がりはマナー違反」という言説が広く流布しているから我慢できないほど不快に思うのではないか、と思う。
つまり、感情が先にあって決まり(マナー)が生まれるのではなく、決まりが感情を規定するのではないか、ということ。
まあ「マナー」と感情と、どっちが先にあったかを見極めるのは難しいが、おそらく、それらが共に規定しあい、強化しあうことによって現在の状況が生まれているのではないか。




余談だが将棋界に根強く存在するらしい穴熊ずるい論争に似てるよね(驚くべきことに、将棋界には、「穴熊戦法(盤の隅に王様を入れて金と銀でがちがちに固める戦法)はずるい、卑怯だ」という意見があるのだ)。
あれは将棋界が老人が多いことが原因だと思ってたのだが、ラス確反対の人にも結構若い人がいるのを見るとそうでもないのか。


【追記】
言い忘れてたけど、順位戦の場合にはラス確上がりは不利な行為だね。
そうか、「東風荘順位戦」ということを前提に議論してるスレが多いのか。
順位戦だったら僕もラス確上がりはしないけど、まあ上の議論にはあまり影響はないでしょうということで。
僕はポイントも気にしてるし、リアル麻雀の練習も兼ねてるので東風荘でも点数気にするけどね。


ラス確上がり反対派にも何種類かあるだろう。


1自分はラス確上がりしない。しかし、他人にはまったく何も言わない。
このタイプはまあどうでもいい。
どうぞご自由に。


2「ラス確上がりするな」とか言ってくる。あるいは、「別にいいけど、他人が不愉快に…」論。
これは上に書いたようにすれば反論できる。


3「ラス確上がりするな」とは言ってこない。しかし、ラス確上がりするやつは「美学がない」「プライドがない」「まあ損得を一番重視するのは個人の自由ですから。私はしませんが」等々とこちらの人間性について何か言いたそうな顔をしてくる。
これはどうしよう。反論できない。
しかし反論する必要もないか。


結論
他人の存在を認めよう。


【再追記】
特に順位戦では、「ラス確上がりはすべきではない」論に十分に反論できていない気がする。
というのも、上の議論は、本人が自分の利益になると信じてラス確上がりをする場合を想定していたのだが、そうではなく、何のメリットもないのを知っていながらラス確上がりをしてもいいのか、というのは想定外だった。
とりあえず今日はもう遅いので寝る。

*1:というのはごまかしがある。例えば、ツモって切るまでの考慮時間は、一般的には特にルールは定められていないが、将棋のように5時間長考というのは流石にやってはいけないだろう。他にも、卓をひっくり返してはいけない、とか、対戦相手を突然殺してはいけない、とか、対戦中に突如「これはうまそうなイーピンだなあ」と宣言して手牌を飲み込んだのちに「しまった、食べてしまった」と後悔してはいけない、とか暗黙のルールはいくらでも存在する(可算無限個かな?)。結局、ルールに定められはしないけど、「常識」の範囲内でやってはいけないこと、というのは存在する。問題は常識をどこに設定するか、だ。というのも少々ごまかしがあって、さっき出した例はどれも、明らかにゲームの進行を妨げるものであって、極端すぎる。とりあえず、「明らかにゲームの進行を妨げるか否か」は万人に共通の基準があると仮定し、それらの行為は当面無視することにする。このとき、ルールには定められていないがすべきではない行為というのは存在するだろうか?――あーもうっ、こういう議論がしたいわけではないんだけど、ルールに特に禁止されてないことだったら何をやってもいいでしょ、と言おうとしたら、「そしたら卓をひっくり返してはいけないとはルールに書いてありませんがなにか?」という反論に対処しようとしていて本題からずれてしまった。ということでこの辺の議論を全部注釈にまとめてしまおう。