世界の七不思議(ボドゲ)について現時点で考えていること

主に4人ゲーについて考える。
まだ本格的にプレイし始めたばかりなので、浅い考察にすぎない。
夜も遅いので走り書きする。

・縮む点差
自分がp点増やすことはもちろん他の全員に対してp点分のアドバンテージを生むが、特定の人の点をq点下げるなら、その人との出入りではp+q点のアドバンテージを得る。
例えば軍事のような局所的に影響を与えるやりとりについて、このことは頭に入れておく必要がある。
たとえば、世代3での軍事の逆転は12点の点差を埋める。
自分がある一人と競っている場合には、このような特定の人との出入りだけ見ればよいが、複数人と競っている場合は、両方同時に考慮する必要がある。
(このような計算の煩雑さもゲームの楽しさの一つだと思う)

・軍事強国のジレンマ
以下の状況を考える。
世代3
我:盾5
彼(下家):盾3
手札に盾3が来た。

彼の盾3を建てる行動は、我との点差を1手で12点(暫定的に)縮める行為であり、阻止したい。
しかし、自分がこの盾3を建てる行動は1点も生み出さない。
如何せん、というジレンマ。

彼我の関係だけで考えてみる。
全員一律の平均の1手の得点期待値をpとすると、

盾取る場合の各行動における獲得点数期待値

0, p

p, p
∴差し引き-p

盾取らない場合

p, p

p, 12
∴差し引きp-12

自分は軍事で勝っているのに、どちらのパターンも損をすることになるのは一見理不尽だが、逆転のチャンスというのは現状の敗者にしか訪れないので、そのようなカードが流れてきた時点でしょうがない。
ゆえに、p<6のときは盾を取るほうが損が少なくて済む。
p>6のときは、取らないほうがいい。(別の行動をしていても12点に迫る価値を生み出せるから、ということ)

・下家への絶対的優位性
自分の下家の手札は、最初の手札以外全て自分がチェックしたカードである。
(みんな下家を持っているので条件が平等になる)
上家と下家は同じお隣さんでも随分性質が違う。

・科学について
科学は、灰色の希少資源を使う+入れ込めば入れ込むほど点数が増加するという性質から、特定の人が独走しがち。
緑は一周回って帰ってくるということも起きがち。
科学の特徴は、特定のカードがキーになるということ。
たとえば、セットの3つ目。その人が集めているカードの4枚め。
逆に言うと、これらを抑えられてしまうと、コスパが悪くなってしまう。
故に、科学特化へのカウンターは、1セットだけ揃えることではないか。
1セットだけ揃えることの利点
・1つの種類は4枚もあるので、ロバストな戦略である。どこかで一枚とればよい。
(vs. 1種を複数枚揃えること前提の戦略はハードル高い)
・敵が3枚抑えている資源の4枚めを取り、1枚ずつ1セット揃えたとき、この1枚の差し引き価値は、相手に7点失わせ、こちらは8点稼ぐという驚異の15点となる。これは世代3の軍事逆転における差し引き12点をしのぐ効率である(しかも、軍事と違って再逆転はありえない)。
ということで、科学の独走は簡単に崩れる。
僕が野良で相手になっている人はぬるいのでしばしば科学独走を許しているが、おそらく上級者だと潰されてしまい科学のコスパはそんなによろしくない。

・市民建造物(青)について
上記の通り、仮に科学における独走を抑えることができるとすれば科学のコスパはそこまで激しくない。
このとき、世代3における高効率行動の基本は青であろう。
例えば、科学で各2枚ずつ獲得する場合の、4-6枚目は3枚で16点、しかもセットという条件付きであるから、1枚平均バリューは5点行くか行かないかというところだが、青の場合世代3で最低でも5点ある。
しかも、青の重要な点の1つは、それが誰が取っても同じ点であるということ。
カードの獲得には、自分の点を上昇させる効果と、他の人にそのカードを獲得する機会を失わせる効果(これを「攻撃」と呼んでもよい)と、2つの効果が同時にある。
軍事は隣あう人(さらに言うと、軍事で競っている人。明らかに軍事力が離れている人に対してはそのカードの獲得は(かなり間接的にしか)意味がない)にしか、
科学は科学を集めている他の人にしか、
「攻撃」効果がない。
一方、青は誰でも取っただけの点数になるから、万人に対する攻撃になる。
だから青を取ることの平均バリューは多くの場合大きい。
たとえば世代3で軍事を取ることで隣の人と出入り12点のバリューを出しても、この行動は対面の人にはなんの影響も及ぼさないが、青のカードの獲得は、他の人の点数を取る機会も必ず削減できている。
(もちろん、資源次第だが…買った資源でなんとかできる場合も多い)
ということで、世代3は、「まず青から考えよ」ということになると思う。

・バリューの評価の仕方
さっきからバリューとか期待値とか言っているが、どのような指標を用いてゲームを分析すべきか。
基本的には期待値が望ましい。
つまり、そのカードを獲得することで獲得できる得点のありうる各値に、実現確率の重みをかけて足し合わせたもの。
しかし、どのように確率を見積もるにせよ、期待値を用いて考えることは次のような欠点がある。
例えば、世代1の茶カードAは世代3の青カードB(7点)の前提であるとする。簡単のために、Aは他の効果はなく、Bを獲得するためにはAが必要であるとする。
このとき、Aの得点期待値は、Bを獲得する確率が0でない限り正の値eを持つ。一方、Aを獲得した状況下で、Bを獲得する行為は確率1で7点をもたらすから、Bの得点期待値は7となる。
このとき、そのカードの獲得時の点数期待値を、そのカードの「バリュー」ととらえるなら、A,Bを獲得したとき、バリューe+7(>7)を獲得していることになる。
一方、獲得バリューというのは、ゲーム終了時には、実際に得ている得点と同じ値になっているべきだ、という強い直観(要請)がある。実際には7点しか得ていないのに、e+7のバリューを得るとはこれ如何に、ということになる。
この問題の解決の仕方はおそらくいくつかあって、一つの答えは、「それぞれの期待値は、その時点における他の選択肢との比較に用いればよいのであって、それをゲーム通算で足し合わせるべきではない」というものだ。
つまり、Aのバリューeは、その手番でA2が持つバリューe2と比較して、どっちが大きいかでその手番でのプレイを決めるための役には立つが、それを世代を通じて通算していくようなものではない、という考え方だ。
これはこれでごもっともなのだが、直観的には、「バリュー」というものを、
・その時点における選択肢の比較
にも使いたいし、
・最終的に獲得したものの評価
にも使いたい、と考えるのが自然だと思う(このような考え方を自然ととらえるのは、我々の「所有」に関わる概念を処理する脳のモジュールの仕様によるものであろう)。
で、いかにバリューを評価すべきについて確固たる考え方はまだ見いだせていないのだが、一つの考え方は、
(1)Aを獲得した時点で、期待値分のバリュー(たとえば2)を得る。
(2)Bを獲得する際、当然バリュー7を得る。
(3)この際、Aの「Bを得ることができる」というバリューは消尽し、Aのバリューは2→0となる
という「減価償却説」。
(1')Aを獲得すると、期待値分のバリュー2を得るが、このバリューは、「Bを最終的に得る前提」で付与されている、「条件付きポイント」である。
(2')Bの価値は、実はバリュー7ではなく、5である。Bを得ると、2+5=7のバリューを得ていることになる。
(3')一方、Bを最後まで得なかった場合は、当初条件付きで付されていたAのバリュー2は消え、2→0となる。
という「条件付きポイント説」。
の2つがまず思いつく。
どちらもAのバリューが2→0となることからいっけん同じような説に見えるが、減価償却説ではBを獲得した際にAのバリューが消えているのに対し、条件付きポイント説ではBを獲得できなかった場合にAのバリューが消えている。
また、Bの獲得のバリューが7なのか5なのかという違いもある。
いずれが自然かは甲乙つけがたいと思う。
前者のAの「得ることができる」というポテンシャルに価値があるという説明、及び、Bの獲得それ自体には7のバリューがあるとする部分には非常な自然さがある一方、
後者の「条件付きポイント」とかは、たしかに現実世界でもそのようなポイントは色々あるし、また、「2枚セット」で初めて7になるのであれば1枚の価値はそれより低い、という部分にも説得力があるようにも思われる。
ただ個人的には前者の「減価償却説」の方がやや自然に感じるかな。

・金について
金については色々考えたいことがあるのだが、もう遅いので少しだけ。
まず、多くのゲーム同様金を余らすのは基本的には損と考える。
金3もあれば、資源を買ってよりバリュー高いカードを建てられたりすると思う。このときの金を出すことによって生み出されるバリュー差は5点くらいは平気で行く。一方、金によるゲーム終了時得点の出入りは当事者間でも2点にとどまる。よって、金は死ぬまで持っとくより使うほうがよい。
あと、特に終盤で、金をどちらに払うか、という考慮になった際には、より脅威とならない方に払うというのは基本だが、それに加えて、「金持ちは少々金もらってもあまりうれしくない(限界効用の逓減)」ということも考慮すべきである。
具体的には、例えば既に10金を持ってる人は、たいていどうせ使い切らない。つまり金3渡しても1点にしかならない。
一方、金0の人に3渡すと、建てられなかったカードを建てられるようになる可能性がある。1点/3円よりも高い価値を生み出される可能性がある。であるから、既に多く持ってる人に渡す方がよいかもしれない。