恥の多い生涯を

就職できてみて、まあ半年で退職するのかもしれないが、なんかなんで今までもっと簡単に考えて適当にやってこなかったのかと今更後悔が湧いてきた。
いや、適当に、というのは、適切な適当さで、ということで投げやりにということではなく。
10年以上前のことを未だに後悔しているなんて後ろ向きな人間で申し訳ないが、現にそういう人間なのだからしょうがない。

最初の大学1年時
僕のゆがんだ考え「数学も物理もフラ語も自分で完全に予習してやらないと」
←とりあえず講義は出席して、人並みにやればよかった。
人並みにやるのがなんか天才っぽくなく気が進まなかったのかもしれないが(若かったので……)多かれ少なかれ人並みで十分だし、実際出席してそれなりにこなしていれば人並み以上にはできたであろうし別にそれでよかった。

それ以降の10年→
僕のゆがんだ考え「俺はまだ1年の時の数学をちゃんとやれてないから、数学も人生の楽しみも何も楽しむ権利がない。恥ずかしい。とりあえず当面の課題を恥ずかしながらこなそう。いつか完璧に1年からやり直そう」
←べつに恥じずに2年なら2年、3年なろ3年のその時点の課程に乗っかればよかった。

あと、学問的な面ではともかく、人間として、別に恥ずかしがらずに堂々と生きればよかった。みんなそうしてるんだから。

そうやって生きていいってのが分からなかったのは、人との交わりがなかったからと言える。
こんなふうな顔で堂々と生きていいんだよってのは人がそういう顔をして生きているということを見て体感すればいいのだが、大学でほとんど友達がいなかったので、どんな顔をして生きていけばいいのか分からなかった。
サークルは半年で辞めたし、大学でやっていたバイトは、あれはそれなりに楽しくやりがいもあったが、自分は恥ずかしい人間だと思っていたから友だちはほとんど作れなかった。(大人たちとは仲良くしたが)
学科の人には、自分は恥ずかしいアホだから数学がよくできるみなさんとは仲良くできないと思って一切近寄らなかった、というか近寄るのが嫌だったこともあって講義に出づらかったということもある。
でも別に何も恥じずに講義でもゼミでも出ればよかった。実際、あまり人と関わりを持たないタイプの人も少なくない学科ではあったはずだからそこまで居心地は悪くなかったと思うの(推測だが。学科の雰囲気とか全くわからない)。

さて、振り返っていたら心が落ち着いてきたので、少しはポジティブなことも書く。
学部はそんな感じでみじめな思いばかりだったので、修士課程は、まあかなり「曲がりなり」ではあるんだが、自分なりにはそれなりに得るものがあった。
数学の勉強の仕方が初めて少しわかったし、相当迷走はしたが2年でギリギリ最低の基準は満たしていると自分では思っている修士論文を出せたので。
えーその後はなにげに2年無為に過ごして、今度就職という流れ。
いやーこの2年の無為っぷりはすごい。
すごいけど、まあ生きてるのでよしとするかってところ。

今後何を目標に生きていけばいいかわからないという面はある。
いくつか野望はあるけど、とりあえず働いてみないとなんとも言えない。
なんとも言えないけど、とりあえずどこかで何かで博士号はとりたい。
そのためにどうすればいいのかまだよくわからないけど、まあとりあえず働いてみるって感じです。
18歳の高校生並みの将来設計しかないけど、よろしくな!

解約忘れ

ヤマダ電機macbookを購入したところ、プレミアム会員*1になればよけいに2%ポイントがつくと言うので、即退会すればいいやとその場で入会した。
退会するには電話しなければならないということで、さっそく退会するために電話したところ、「メールアドレスを登録すればさらに2%ポイントをつけられますよ」と言われ、素直に登録することにする。
この、メールアドレスを登録すればさらにポイントがつく件はパンフレットにもどこにも書いてないので、退会するために電話してきた人にしか教えてない引き止め用のサービスなのかもしれない。

メールアドレスを登録した翌日にメールが届くらしいのだが、メールを登録するだけでいいのか?メルマガの登録とかも必要なのか?、なにぶんどこにも詳細が書いてない件なので念のためにもう一度電話してみると、「それならポイントをこの場でただちにおつけすることができますよ。ついでに退会ということでよろしいですか?」と妙に話が早かった。結局その場でポイントをつけてもらい、退会もしてもらった。

話が早くてありがたいが、申し訳なさも感じた。
まあ別に、互いに納得ずくでやっている取引であって、何もやましいところはないんだけど。
というか「やましい」というなら、このプレミアム会員サービス自体が、ポイント目当てに入会して、解約するのを忘れてたわ〜っていう人からの収入もそれなりに見込んでるんだろうし、どっちがやましいかっていう話でもあるが。
解約忘れ狙い(の面もある)商法を、ちゃんと忘れずに解約してすまんな。(バンダイチャンネルの解約忘れててかつて1万円無駄にしたのでセーフ)

*1:月額300円

今日も一日

うん、一夜明けたら分析的に考えられるようになってきた。
昨日某イベントで、漠然とショックを受けたけれども、その原因は主に2つのことがらを観測したことに要約できることがわかった。

ひとつは、押しが強くて自己中心的で自信満々で女性蔑視的でヤリたがりで自分の社会的上昇にもっぱら興味があるような連中が存在するということ*1
藤沢数希とか馬鹿っぽくて嫌だなあと思ってたけど、まだ彼はインテリぶってるぶんマシで、これをもう数段馬鹿っぽくしたようなタイプね。
もういい年なのにテニサーかよっていう人たち。
この人たちと仲よくするのは、申し訳ないけど今のところは無理。いや、こだわりが強い僕はもっと色んな人と仲良くしていくべきなんだろうけど、この人たちとうまくやっていくのは一番最後になりそう。
この人たちと一緒にいると、吐き気の方が先に出てしまう。
別に彼らを馬鹿にして溜飲を下げてもしょうがない。彼らに関しては、「こういう人もいる」ということを知る、というのが僕の側からの対策か。

もう一つには、そういうクソ連中ではない普通のいい人たちも人生に対して存外高い満足度を持っているということ。
標語的に言えば、「普通の人は普通に人生を楽しんでいる」という事実。
もちろん昨日会った彼らは高スペックで普通どころの騒ぎではないのだろうけど、まあ高スペックの中では普通というか。
あ、「この世は悪くないところだ」と思ってるんだ、というのが、表情や立ち居振る舞いから伝わってきてしまった。
ある意味では僕にとっては彼らの存在のほうがつらいとも言えるかもしれないが、こちらは想定内というか、別に彼らと接していて不快感はなくただ自分の人生がみじめなものであるということのつらさがじわじわと来るだけで、それは自業自得な面もあるので、まあこれからがんばるというだけではある。

11年前の大学入学前後みたいな日記になってしまった。
当時から今まで少しでも成長した部分はあるのだろうか?と自問自答すると、わずかに2,3点しか思いつけないので嫌になる。
その2, 3個も吹けば飛ぶようなことなんだけど一応記憶を失って11年後に目覚めたわけではない、と思っておくことにはする。

*1:正確に言えば、そういうふうに見えた、というだけで、本当は違うのかもしれない。単なる第一印象

みんな人生を楽しんでたなんて

例えば西城秀樹が『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』で若いことの素晴らしさを説いたのはもう40年近く前、四半世紀よりは半世紀に近い昔であるから、若さの素晴らしさなんてのはとっくの昔に滅びてしまって、楽しみも何もない、ただつらい日々の暮らしがあるだけっていう世界観の中に僕らの世代は暮らしている、というふうに世界を認識していたけど、どうもそれは幻想、少なくとも一部の人だけの幻想だったようで、多くの人は若い人生を思いっきり楽しんでいるみたいだ。
その事実を今日初めて知って大変ショックを受けている。

でもここで哀れを誘ってもどうにもならないことくらいは知っている(まあ十分甘えているのだが……)。
せめて「今日は仕事した」と思って毎日眠りたい。
修道院というのはよくできた制度で、そこに所属してさえ入れば神の道に近づいていると思えるのだから甘えだ。
修道士が羨ましい。
私は俗世の喜びから離れているが神に奉仕する生活を送れているという自己認識が得られる。
これ以上の幸福があるだろうか?
俗世の喜びの「代わり」の喜びを提供している。

しかし、僕の人生はただただ恐れだけで、喜びが訪れる気配がない。
もちろん、1/11の日記に書いたことも間違いだった。

叩けよさらば開かれん、と言うけれども、僕は叩いていないと思う。
神の栄光、いやせめて俗世の喜び、なんでもいいけど求める道を選ばなければ。
「選び」の感覚が大事だ。

恐怖を抱くこと

色々書くことがあるのに書きづらくなっている面もあり、誰にも知らせずに新たなブログを始めるべきか?という気もしなくもないが、それは怖くもある。
「自分はこういう自分なんですぅ〜」っていうのが断片的にせよ記録されているここで書けば「ああ、この人はこういう駄目な感じだけど一応元は結構やれそうな雰囲気をかなり漂わせてはいたことはあるのね」と思ってもらえるけど、まったく0から始めるブログでは「戦闘力…たったの5か…ゴミめ」って単に思われるのではないかという恐怖があるから。

しかしまあ常識的に考えれば、そのような恐れはくだらないプライドであって、そういう恐怖にとらわれているようでは成長もないし、何もいいことはないと思う。

僕がそういう恐怖を抱くのは歳をとって挑戦するのが怖くなったからなのか、あるいは生来の性質なのか?という問題。
んーそれは両方ある。
基本的には生来の性質であって、僕が抱えるいろんな困難に通底する一つの要素は「恐怖」ということでもある。
例えば久しぶりに授業に出たら恥ずかしいとかね。恥ずかしい=「馬鹿にされないかという恐怖」でもあるから。
ただ歳をとって怖さを持つようになったという面も、認めたくはないけど少しはあるかなあ。
つまり自分がこれから何かなしうるか?ということに関する期待は(買い叩いてはいけないとは思いつつも)自分で自分を値切って見てしまうようになるから。
ただまあ、基本的にはあんまり真面目に考えていないからそこそこ楽観的ではあると思う。

それで、僕が少しは成長して、生来の恐れがちな性質を少しは克服できたのだろうか?
基本的には、まったく克服できておらず、さっき述べたように歳を経てむしろ増している面もある。

ただ、一応頭では、こういうとき恐れていてはダメ、というか、案外なんとかなったりもするんだろうな、とは思えるようにはなってきてはいるのかな。少しはね。

佐々木正悟『すごい手抜き』が人生のバイブルだと僕の中で話題に

いやー素晴らしい本。
ぜひ僕に読ませたい本。

世の中にごく少数いる完璧主義すぎる人向けに書かれた本。
つまり、僕のための本である。

メッセージはシンプルで「完璧主義じゃなくていいんだよ、手抜きしてもいいんだよ」ということを手を変え品を変え語ってくれる。厄介な性向を決して頭ごなしに否定せず、ときには褒め、ときには合理的に諭してくれる優しさもありがたい。

各章の最後に掲げられた、その章の内容をひとことで要約したスローガン(全部で30個)は自分自身への家訓として毎朝眺めたいね。

22章の「ときにはあえてギリギリに取り組め」とか割と目からウロコだよね。

完璧主義な人は世界に対しても感性が鋭すぎるって話は、知覚過敏が発達障害の原因の一つになりうると示唆していた発達障害の素顔 脳の発達と視覚形成からのアプローチ (ブルーバックス)を思い起こさせた。

手を抜くことは違和感があるし、完全に性格を変えることはできないけれど、がんばってそれに慣れていこうな、というメッセージは本当に暖かくて涙が出そう。

完璧主義すぎて生活に支障をきたしてる人はぜひとも読むべき本。
これからは適当に生きるぞー