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DQ5

ミルドラース倒した。
どこの馬の骨とも知れないモンスターとラスボス戦に挑むのは嫌だったので、ビアンカ、かごまる(男の子の名前)、あるみ(女の子の名前)と共に挑む。
第二形態の1回目の攻撃でいきなり1人即死、他の人も瀕死状態になり、さすがに強すぎるだろ…と引いたが、どうにか倒すことができた。
スクルト(味方の守備力を上げる)を覚えている人がいなかったのできつかった。←男の子が覚えていたみたい。あと、普通はフバーハを使うらしい。フバーハとか存在すら知らなかったなあ。
というわけで守備はザルだったので、毎回攻撃を素の状態で食らって、主人公と男の子のベホマと、ビアンカの持つけんじゃのいしで回復しつつ、女の子のバイキルトで攻撃を上げて、余裕があれば主人公と男の子は直接攻撃、ビアンカメラゾーマ、女の子はイオナズンで攻撃、いざとなったら世界樹の葉とエルフののみぐすりを使用という微妙な戦術だった。


いやーしかし面白かった。
全体を貫くテーマとしては、やはり「受け継がれる想い」とそういうのがあって、それがいいですよね。両親の果たせなかった思いを自分の子どもが果たすという。ぐっとくる。
石化した主人公を子どもたちが救いに来たときが一番感動しました。
主人公の子どもが伝説の勇者で、主人公はそうではないというのが独特の味になっているのかも。主人公の「職業」が、「ゆうしゃのちちおや」になったのを見て、最初は「何だ、主人公は勇者を産む機械かよ」と思ったのですが、だからこそ、子どもによって悲願が果たされたときのカタルシスも大きくなる面もあるかもしれません。


時の流れを生かした演出も色々細かい部分も含めて凝っていますよね。年月が経過すると、どっかの街で踊り子になってたお姉ちゃんが帰って来てるとか、子どもだったピピンが兵士になってるとか、サンタローズの街でおじいさんが世話をしてた男の子が大きくなってるとか、オラクルベリーのすごろく場の地下で、落ちてくる人を眺めるのだけが趣味のおじさんがおじいさんになってるとか、細かいのを数えだすときりがありません。
もっと重要なところで言えば、ビアンカのリボンでキラーパンサーが仲間になり、パパスの形見を持ってくる、サンタローズの洞窟の少年時代は入れなかった部分に、青年時代になって入るとパパスの遺書とともに伝説の武器が置かれている、少年時代に出会った「謎の青年」がらみの云々、そして何より、幼なじみだったビアンカと結婚し、できた子どもが伝説の勇者だった*1*2等々は泣かせます。
特に、「少年時代に出会った『謎の青年』がらみの云々」は素晴らしいと思います*3


こうやって改めて文章で書くと結構陳腐な感じもしますけれども、まあそこはやはりゲームなので、小説にすると陳腐になるにしても、ゲームでプレイする場合は、自分で主人公をいじくり回し、レベル上げなど苦労もあるわけですから、より「自分の物語である」と感じられるほどに感情移入するので、陳腐さやご都合主義には気がつきづらいのではないでしょうか。


ところで、ミルドラースを倒して少し思ったのは、魔界の王を伝説の勇者が倒しちゃっていいのか、ということです。
魔界の人々から見れば、伝説の勇者なる主人公たちが、邪悪な存在に見えるんじゃないかと。主人公たちは「十字軍」的な存在なんじゃないかと感じました。
まあそのように感じた一つのきっかけは、主人公の娘が「魔物さんのいない世界を平和って言うんじゃないよね?みんなで暮らせるのが 平和よね。」*4と言っていたからです。
ご存知の通り、主人公はかつて魔界と人間の世界を結ぶ門の管理をしていたというエルヘブン出身のマーサの息子で、その結婚相手は実は天空出身で、その2つの血が交わって伝説の勇者たる息子が誕生したわけですが*5、マーサと、主人公、そしてその血を強く受け継いでいると思われる主人公の娘は、魔物と心を通わせられるという特殊能力を持ちます。
その能力ゆえに、娘は先に上げたような親「魔物」な発言をするわけですが、このような娘の発言が、ともすれば十字軍的になりがちな物語の緩和剤になっている面はあるかもしれません。
十字軍と言えば、このような剣と魔法の物語の元祖は騎士道物語にあるわけですが、騎士道物語の成立の背景に十字軍があったかどうかは、よく知りません。


さて、ここからは考察(笑)っぽくなりますが、エルヘブンの民は魔族の血を引いているのでは?
そうだとすると、エルヘブンの民が魔界の門を管理する役割を負っていたことや、マーサや主人公やその娘が魔物と心を通わせるシャーマン的能力を持っていたことも説明がつきます。また、そのような特殊な出自と特殊な能力を持っているがゆえに、迫害を避けてあのような山奥にひっそりと暮らしていたのではないでしょうか。エルヘブンの人々はずいぶん排外的な様子でしたし。
また、テルパドールの城で、主人公の息子が「天空の血だけじゃ勇者は 生まれないんだよ。もうひとつ ……の血が 入らないと。あれっ? ボクなんで そんなこと知ってるんだろう。」(http://dq.ath.cx/odb/id/who/0/search/-/limit/10/?start=12730)と、何かに憑かれたような不気味な調子(子どもなのに妙にシリアスな調子で言ったのでかなり不気味で、印象に残ってます)で言っていますが、この「……」に入るのは、エルヘブンの民=魔族の血を引いてる説からすると、「魔族」という言葉ではないでしょうか。
普通の解釈では「エルヘブン」という言葉が入るのでしょうが、あの不気味な雰囲気と、わざわざ伏字にしていることから考えると、「魔族」という言葉の方がしっくり来る気がします。テルパドールの城に子どもたちと行く時期には、既にマーサの故郷がエルヘブンであることは明らかになってるわけですから、わざわざ伏字にするほどでもない気がします。
さらに、魔界の街ジャハンナは、マーサによって魔物から人間にしてもらった人々が住む街ですが、魔物を人間に変えることも可能であるとすれば、魔物と人間のハーフというようなものの存在にも説得力が生まれます。


まあこれは一つの解釈であって、妄想ですが。


というわけで、面白いゲームでした。一応物語は一区切りしたので、裏ボスに挑んだりするのは、また時間を置いてからやろうかと思います。というか、ラスボスクリア後のエンディングで、世界が平和になって、「武器屋を廃業しようか」という人がいたり、「これで街の外を歩いていても魔物に教われないね」と言っていたり、サンタローズの町がなぜか復興していたりしたのに、一旦電源を切って再び開始すると、裏ダンジョンに入れるようになっている、妖精の城の2階東に飾ってある絵が替わっていて新イベントが発生する、などの細かい違いを除けば、全てがラスボスクリア直前と同じ状況になっている(サンタローズも寂れたまま)のは、物語の進行と矛盾していて、非常に萎えます。まあ本当に世界が平和になってモンスターが出なくなってしまったら、クリア後にすることがなくなってしまう、というのはわかりますが、クリア後、思い出のレヌール城に行ったりしてまったりしてたら、ビアンカに「こんなとき(早く魔界に行ってマーサを助けなきゃいけないとき)にこの場所へ来るなんて……」と非難されたりするのはちょっと嫌です。


ダンジョンの難易度についてですが、やっぱり個人的にはレヌール城がいちばんきつかったです。
終盤のダンジョンも確かに手強いですが、装備もMPも充実してるので、全滅するかも…という恐怖は、ミルドラース戦以外ではあまり感じませんでした。やはり裸同然で挑んだレヌール城が一番全滅の恐怖はありました。
とは言え、確かにレッドイーターブルーイーターおよびそれを使役するエビルマスターが跋扈する、封印の洞窟は、青年時代後半では一番苦労しました。
また、青年時代前半の死の火山、グランバニア山の洞窟あたりも、パーティがまだ弱かったのでかなり厳しかったです。

*1:まあご都合主義すぎるという意見もあるかもしれませんが

*2:ビアンカと結婚しない場合はこれは当てはまりませんが

*3:突然タイムスリップが登場するのはやや唐突な感もありますが、まあ1回くらいはタイムスリップしても、スパイスということでいいのではないでしょうか

*4:PS2版DQ5会話データベースからの孫引きです。僕がプレイしたのはDS版なので少し変えられてるかもしれません

*5:息子「天空の血だけじゃ勇者は 生まれないんだよ。もうひとつ ……の血が 入らないと。」http://dq.ath.cx/id/12732/から。