わたしたちが孤児だったころ

わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)

わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)

よく言って凡作。

殺人事件の謎をその頭脳で華麗に解き明かす名探偵を、混迷化する世界情勢や大英帝国負の遺産などの複雑な大人の世界に背を向ける子どもじみた存在として描いているが、その対比は単に図式的なものにとどまっており、安っぽいとしか思えない。
最後に明かされる真相、母とのやりとり、ジェニファーとのやりとりがどれもお涙ちょうだいの安っぽいものに感じられた。

「名探偵」を主人公に据えながら、事件の調査や解決といった古典的なミステリであれば話の筋の中心になるような要素をあえて描かず「○○事件はどうだったこうだった」と、断片的にしか主人公の活躍が伝わってこないという描写の手法は昨今の「現代的」なミステリの「探偵」に対する批判的な視線と共通するものがあり、ミステリとして面白いものになるか?と期待したが、期待はずれであった。
もちろん先程述べたような

わたしがもっと大人物だったら、いいですか、もはや躊躇なんかしませんよ。心臓めがけて行きます

(同書kindle版、ロケーション6194の2670)
という発言に代表されるような「名探偵」の子どもっぽさ、グローバルな状況・不正義に対する不作為(それは同時に当時・そして現在の先進国の物知り顔の連中の不作為でもある)への糾弾のために、作劇上の技巧として名探偵というキャラや、ときには誇大妄想的と思えるような超人的な能力(とそれに対する世間の評価)が設定されているのだろうなとは思うが、その「名探偵キャラ」があまりに詳細不明で現実離れしすぎていると、それと現実の複雑な状況との対立が「後づけ」の安っぽいものに感じられ、単にベタに(現代の視点で)当時のエリート層の不作為を糾弾しているだけ、と感じられてしまった。
ただ、いつの間にか中国における状況をすべて主人公が解決してくれるように周囲が考えていて、主人公もそれを受け入れていたり、英国領事館のグレイスンが「両親開放式典」の話をし、主人公もそれを自然に受け入れているといった描写の、あまりに誇大妄想的でどこまで事実でどこからが幻想なのかわからなくなってくる感じは、面白くはあった。

以下は主観的な度合いがやや高い感想。

最大の見せ場の一つと思われるアキラとの戦場での冒険も、「ここがこの小説の白眉で歴史とそれに翻弄される人々に関する何か本質的な洞察がここに描かれているはずだ」という気がした*1ものの、たいして感じられず。

というか、今気づいたが、いちばん僕が気に入らなかったのは、この小説から、「愛」の要素が感じられなかったこと。

主人公がかつての生家だった家を訪ねるシーンなどは、まあまあいいシーンだが、中国人の家族が「西洋人が考える、適度にエキゾチックだけど、物わかりがいい都合のいい中国人」に見える。

サラが魅力的な点は評価できる*2レコード屋でのキスとか類型的ではあるがエロいし。
他に評価できるのは、全編に漂うノスタルジーの感覚ですかね。それだけは、この小説の優れた点であったと言えるかもしれない。
あと、漬物石のような小説で育った私に言わせれば、この小説はもっと長くあるべきだ。

*1:こういう先入観は老害化のたまものかもしれない

*2:駆け落ち話が出た時点で「あ、これ行かないフラグ立っとるやつや」と予想がつくのは残念だが