解約忘れ

ヤマダ電機macbookを購入したところ、プレミアム会員*1になればよけいに2%ポイントがつくと言うので、即退会すればいいやとその場で入会した。
退会するには電話しなければならないということで、さっそく退会するために電話したところ、「メールアドレスを登録すればさらに2%ポイントをつけられますよ」と言われ、素直に登録することにする。
この、メールアドレスを登録すればさらにポイントがつく件はパンフレットにもどこにも書いてないので、退会するために電話してきた人にしか教えてない引き止め用のサービスなのかもしれない。

メールアドレスを登録した翌日にメールが届くらしいのだが、メールを登録するだけでいいのか?メルマガの登録とかも必要なのか?、なにぶんどこにも詳細が書いてない件なので念のためにもう一度電話してみると、「それならポイントをこの場でただちにおつけすることができますよ。ついでに退会ということでよろしいですか?」と妙に話が早かった。結局その場でポイントをつけてもらい、退会もしてもらった。

話が早くてありがたいが、申し訳なさも感じた。
まあ別に、互いに納得ずくでやっている取引であって、何もやましいところはないんだけど。
というか「やましい」というなら、このプレミアム会員サービス自体が、ポイント目当てに入会して、解約するのを忘れてたわ〜っていう人からの収入もそれなりに見込んでるんだろうし、どっちがやましいかっていう話でもあるが。
解約忘れ狙い(の面もある)商法を、ちゃんと忘れずに解約してすまんな。(バンダイチャンネルの解約忘れててかつて1万円無駄にしたのでセーフ)

*1:月額300円

今日も一日

うん、一夜明けたら分析的に考えられるようになってきた。
昨日某イベントで、漠然とショックを受けたけれども、その原因は主に2つのことがらを観測したことに要約できることがわかった。

ひとつは、押しが強くて自己中心的で自信満々で女性蔑視的でヤリたがりで自分の社会的上昇にもっぱら興味があるような連中が存在するということ*1
藤沢数希とか馬鹿っぽくて嫌だなあと思ってたけど、まだ彼はインテリぶってるぶんマシで、これをもう数段馬鹿っぽくしたようなタイプね。
もういい年なのにテニサーかよっていう人たち。
この人たちと仲よくするのは、申し訳ないけど今のところは無理。いや、こだわりが強い僕はもっと色んな人と仲良くしていくべきなんだろうけど、この人たちとうまくやっていくのは一番最後になりそう。
この人たちと一緒にいると、吐き気の方が先に出てしまう。
別に彼らを馬鹿にして溜飲を下げてもしょうがない。彼らに関しては、「こういう人もいる」ということを知る、というのが僕の側からの対策か。

もう一つには、そういうクソ連中ではない普通のいい人たちも人生に対して存外高い満足度を持っているということ。
標語的に言えば、「普通の人は普通に人生を楽しんでいる」という事実。
もちろん昨日会った彼らは高スペックで普通どころの騒ぎではないのだろうけど、まあ高スペックの中では普通というか。
あ、「この世は悪くないところだ」と思ってるんだ、というのが、表情や立ち居振る舞いから伝わってきてしまった。
ある意味では僕にとっては彼らの存在のほうがつらいとも言えるかもしれないが、こちらは想定内というか、別に彼らと接していて不快感はなくただ自分の人生がみじめなものであるということのつらさがじわじわと来るだけで、それは自業自得な面もあるので、まあこれからがんばるというだけではある。

11年前の大学入学前後みたいな日記になってしまった。
当時から今まで少しでも成長した部分はあるのだろうか?と自問自答すると、わずかに2,3点しか思いつけないので嫌になる。
その2, 3個も吹けば飛ぶようなことなんだけど一応記憶を失って11年後に目覚めたわけではない、と思っておくことにはする。

*1:正確に言えば、そういうふうに見えた、というだけで、本当は違うのかもしれない。単なる第一印象

みんな人生を楽しんでたなんて

例えば西城秀樹が『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』で若いことの素晴らしさを説いたのはもう40年近く前、四半世紀よりは半世紀に近い昔であるから、若さの素晴らしさなんてのはとっくの昔に滅びてしまって、楽しみも何もない、ただつらい日々の暮らしがあるだけっていう世界観の中に僕らの世代は暮らしている、というふうに世界を認識していたけど、どうもそれは幻想、少なくとも一部の人だけの幻想だったようで、多くの人は若い人生を思いっきり楽しんでいるみたいだ。
その事実を今日初めて知って大変ショックを受けている。

でもここで哀れを誘ってもどうにもならないことくらいは知っている(まあ十分甘えているのだが……)。
せめて「今日は仕事した」と思って毎日眠りたい。
修道院というのはよくできた制度で、そこに所属してさえ入れば神の道に近づいていると思えるのだから甘えだ。
修道士が羨ましい。
私は俗世の喜びから離れているが神に奉仕する生活を送れているという自己認識が得られる。
これ以上の幸福があるだろうか?
俗世の喜びの「代わり」の喜びを提供している。

しかし、僕の人生はただただ恐れだけで、喜びが訪れる気配がない。
もちろん、1/11の日記に書いたことも間違いだった。

叩けよさらば開かれん、と言うけれども、僕は叩いていないと思う。
神の栄光、いやせめて俗世の喜び、なんでもいいけど求める道を選ばなければ。
「選び」の感覚が大事だ。

恐怖を抱くこと

色々書くことがあるのに書きづらくなっている面もあり、誰にも知らせずに新たなブログを始めるべきか?という気もしなくもないが、それは怖くもある。
「自分はこういう自分なんですぅ〜」っていうのが断片的にせよ記録されているここで書けば「ああ、この人はこういう駄目な感じだけど一応元は結構やれそうな雰囲気をかなり漂わせてはいたことはあるのね」と思ってもらえるけど、まったく0から始めるブログでは「戦闘力…たったの5か…ゴミめ」って単に思われるのではないかという恐怖があるから。

しかしまあ常識的に考えれば、そのような恐れはくだらないプライドであって、そういう恐怖にとらわれているようでは成長もないし、何もいいことはないと思う。

僕がそういう恐怖を抱くのは歳をとって挑戦するのが怖くなったからなのか、あるいは生来の性質なのか?という問題。
んーそれは両方ある。
基本的には生来の性質であって、僕が抱えるいろんな困難に通底する一つの要素は「恐怖」ということでもある。
例えば久しぶりに授業に出たら恥ずかしいとかね。恥ずかしい=「馬鹿にされないかという恐怖」でもあるから。
ただ歳をとって怖さを持つようになったという面も、認めたくはないけど少しはあるかなあ。
つまり自分がこれから何かなしうるか?ということに関する期待は(買い叩いてはいけないとは思いつつも)自分で自分を値切って見てしまうようになるから。
ただまあ、基本的にはあんまり真面目に考えていないからそこそこ楽観的ではあると思う。

それで、僕が少しは成長して、生来の恐れがちな性質を少しは克服できたのだろうか?
基本的には、まったく克服できておらず、さっき述べたように歳を経てむしろ増している面もある。

ただ、一応頭では、こういうとき恐れていてはダメ、というか、案外なんとかなったりもするんだろうな、とは思えるようにはなってきてはいるのかな。少しはね。

佐々木正悟『すごい手抜き』が人生のバイブルだと僕の中で話題に

いやー素晴らしい本。
ぜひ僕に読ませたい本。

世の中にごく少数いる完璧主義すぎる人向けに書かれた本。
つまり、僕のための本である。

メッセージはシンプルで「完璧主義じゃなくていいんだよ、手抜きしてもいいんだよ」ということを手を変え品を変え語ってくれる。厄介な性向を決して頭ごなしに否定せず、ときには褒め、ときには合理的に諭してくれる優しさもありがたい。

各章の最後に掲げられた、その章の内容をひとことで要約したスローガン(全部で30個)は自分自身への家訓として毎朝眺めたいね。

22章の「ときにはあえてギリギリに取り組め」とか割と目からウロコだよね。

完璧主義な人は世界に対しても感性が鋭すぎるって話は、知覚過敏が発達障害の原因の一つになりうると示唆していた発達障害の素顔 脳の発達と視覚形成からのアプローチ (ブルーバックス)を思い起こさせた。

手を抜くことは違和感があるし、完全に性格を変えることはできないけれど、がんばってそれに慣れていこうな、というメッセージは本当に暖かくて涙が出そう。

完璧主義すぎて生活に支障をきたしてる人はぜひとも読むべき本。
これからは適当に生きるぞー

自動車運転免許(普通免許)取得記

一応書いておくか。

4月に就職するので、一応取っておいたほうがいいかと1月から3月の間に取得することにした。
合宿免許は

  1. 一定期間自動車免許ひとつにかかりきりになるのが嫌だ
  2. ご飯が合わなかったら嫌だ
  3. 免許取ったあとも運転する機会は少ないだろうから、少し時間をかけて取ったほうが技術を忘れにくいのではないか

などの理由から避け、教習所に通学して取ることにした。
申込んだのが年末で、教習所が混む時期なので、教習と教習の間が空きすぎたり3月までに取れないことを危惧していたが、大学生協経由で申込んだのでその特典でいいコース*1にすることができ、さらにいくばくかの追加料金を払ってコースをアップグレードした結果、教習の予約に関しては希望通りにならないというストレスはあまり感じずに済んだのはラッキーだった。

  • 自分の運転技術に関して

壊滅的にひどくはないだろうが、すごく得意でもないだろうと予想していたが、まあおおむね予想通りか。
得意ではないと予想していたのは、父親よりはマシとは言え空間の認識がそんなに強くないというのが理由の一つ。
あと路上を走ってみて思ったのは、一つのことに注意をとられると他がおろそかになりがちだなとは思った。
まあ、技術に関してはこれから慣れてみないと何とも言えないが、慣れる機会があるだろうか?

  • 教習所の教官に関して

ネットで評判を検索すると、どの教習所も「教官はクズ」的な悪評が多いのでかなりビビっていたが、不快な思いをすることはほとんどなかった。
指導が抜群にうまい教官(Sさんとする)が一人いて、他の教官とはレベルが違っていた。
一方である程度年齢が行っていて、どうも所内ではそれなりに管理的な立場についているらしい教官でも、その指導はよく言って可もなく不可もなく、Sさんの指導に比べると何も教えてないも同然、くらいの人もいて、
Sさんの圧倒的な指導のうまさは社会から正当に評価されるのだろうか?ということは多少気になった。
おそらく、通常に比べて2倍価値がある教習をしても2倍の給料がもらえるわけでもなく、むしろ年功序列による賃金の上昇の方が大きいんだろうし。
究極的にはその生き方のエレガンスは、金などではなく単に「よく生きた」という本人の満足感だけが報酬じゃないかな。「本人の満足感」という言葉がお好みでなければ、「裁けるのは神だけ」というような言い方をしてもいいが。もちろん社会的にも評価されるに越したことはないが。
一応、「教習所へのご意見」で、絶賛してはおいた。
閑話休題

  • 教習所なるものについて

昨日も書いたけど、無遅刻無欠席で遅延なしに免許取得できたのは自分としてはささやかなベイビーステップ、成功体験となった。
なんか最近、感覚が鋭敏になってるのか、若い女子がみんな美しく見えた。

僕の考えでは、教習で同じ車に乗り合わせた者同士、二言三言雑談しても許されるというか、みんなもっとそういうちょっとした人と人との触れ合いしていこう、そうすればちょっと楽しいよ、と思うのだが、都会の若者はそういうノリじゃないのか、あまりそういう機会はなかった。
でも、ちょっと年齢高め(僕と同じくアラサー?)の男性と乗り合わせたときは、終わったあとに「お疲れ様です」みたいな感じの会釈をしてもらえて、「僕が求めていたのはこれ!」とうれしくなった。

  • 車の運転について

twitterにも書いたけど、運転すること自体の楽しさがあるね。
まだ車両感覚ってやつは身につかないけど。
乗り回して練習したいけど、現状、実家に車がないのであまり乗れないかも。

あと、何だかんだ言って車は死角が多く、互いが正気を保って気をつけることを前提にしてるのは結構怖いと思った。
それでも事故は意外と少ない*2んだから、みんな意外とちゃんとしてるんだろうし、意外と周りの状況は初心者の僕が思うより把握できるのかもしれないな。

狭路走行(クランク)とか方向転換(例えばトの字の道に入って横棒で転換して入った方向から出る)とか、車両感覚が要求されるのはまだまだ練習し足りないな。
もっと運転したいし、実際問題一度多少なりとも得た感覚を手放してしまうのはもったいないので、月1くらいではレンタカー借りて練習しようかな。

*1:コースの違いは主に教習の予約のとりやすさの違い

*2:主観的な感想だが