なじみの個室

職場では1日のうちに複数回トイレの個室*1に入ることになるわけだが、毎回同じ個室を選ぶか、毎回違う場所を選ぶとするか、2つの戦略がありうる(それぞれ、固定戦略、移動戦略ということにする)。

病原体との接触を避けるという観点から、いずれの戦略を選択すべきか。

具体的には、次のようなモデルを考える:
時刻tまでに、ある個室に病原体が持ち込まれている確率は累積分布関数F(t)で表される*2。もちろん、F(t)は広義単調増加。
F(t)は個室によらず、各個室は独立であるとする。
時刻tまでに1回も持ち込まれていない確率をG(t):=1-F(t)で表す。(G(t)は広義単調減少)

ある個室に病原体が持ち込まれた時点でその個室は「汚染された」こととなり、以降ずっとその部屋は汚染されたままとなる。(ここでは掃除は考慮しない)

問題
1日何回かトイレの個室に入るとする。(例えば時点t1<t2<...<tn)
汚染された部屋に1回も入らない確率を最大化したいとき、固定戦略と移動戦略のいずれを選択すべきか。

一見すると、個室の区別はできないのだから、固定戦略でも移動戦略でも同じようだが、実は違う。
固定戦略では「ここは以前入った、なじみの個室だ」という情報があるのだ。

移動戦略の場合、個室の独立性より、汚染された部屋に1回も入らない確率はG(t1)×...×G(tn)となる。
一方、固定戦略の場合、容易に分かるとおり、汚染された部屋に1回も入らない確率はG(tn)となる。t1で汚染されておらず、かつ、t2で汚染されておらず、...かつtn-1で汚染されていないという事象はtnで汚染されていないという事象の部分集合なのだから。
ということで、一般に固定戦略の方が有利となる。

*3
なんとなく不思議な感じもするが、「今までうまくいっていた個室は、少なくとも今まではうまく行っていたという信頼と実績があるのだ」ということだ。
「汚染した部屋に入ったら即死する(生存している時点で「今まで汚染されていなかった」ことが確定する)ならともかく、汚染した部屋に入っているかいないかわからないのに、固定戦略で2回め以降部屋に入るとき、『今までうまく行っていた』と仮定はできないのでは?」と思うかもしれないが、汚染した部屋に1回も入らない確率を考えたいので、自分は今までうまく行っていたと「仮定して」判断してよいのだ
なぜなら、今まで1回でも入ってしまっていたら、既にプロジェクトは失敗しているので、どのみち判断の余地はなく、うまく行っていた場合だけ正しい判断を行えればいいのだから。

上述の条件付き確率についての判断に関する汎用的なハックについて

この種の「複数の事象が連続してうまく行く確率を高めたいとき、途中での選択を判断する際は、そこまで全部うまくいっていると仮定して考えてよい」という確率論的ハックって、バックギャモンやポーカーでも出てくるはず(たとえば、「相手にフルハウスが入っていたらどのみち既に死んでいるのだから、この時点ではそれ以下の手であると仮定してよい」となるケース)なので、何か「手筋」の名前がついているのではないかと思うのだが、いい感じの名前あるんでしょうか。

「なじみのものを用いたほうがいい」という考え方の汎用性について

もちろん上述の「個室の汚染」モデルは特定のモデルの立て方であって、他にも色々ありうると思うのだが、しかしその教訓として出てきた「既に1回使って安全だったものは再度使うにも比較的安全である」という考え方は普遍的に色々なところで見られると思われる。
例えば、鮭が、自分が生まれたまさにその川に遡上するのは、「少なくとも一度はその川を下ることができた(少なくともその時は下りを妨げる障害はなかった)」という情報を利用しているから(もちろん、specificに述べると、生まれた川に遡上する戦略を取る魚が、ランダムな川に遡上する魚よりもよりうまく子孫を残する傾向があった、ということ)だと聞くが、これもこの考え方の類型だとも言える。無理を承知で敷衍すると、ヒトを含む色々な生物が一般に変化を嫌う傾向はこの「(自分が生き延びているということは)少なくとも過去においては安全だったから」という推論に基づいていると言えるかもしれない。
あとは、(つまらない例かもしれないが)
・企業が採用活動において経験者を優遇する、バツイチの男は(少なくとも1回は結婚しえたという信頼があるので)ある程度モテる、などの「経験者優遇」戦略
故障率曲線が初期故障をくぐり抜けるといったん落ち着くこと(少しの間正常に動作していたという実績により、少なくとも稼働が最初から全く不可能であるような致命的な欠陥はないことになる)(←見当違いなこと言ってたらごめん)
等がある。(もっといっぱいあると思うが、とりあえずぱっと思いつくもの)

*1:あまり入ったことがない方のために説明すると、一般的な男性用トイレでは、小便器と言われる、小用を足す専用の便器と、個室と言われる、主にビッグビジネスに携わる人が入るスペースがある。噂ではこの個室部分は女性用トイレにあるものと同じ設備だとのこと。

*2:早押しチャンピオンであればこのあたりで何を言わんとしているか分かっていただけると思う

*3:上述のモデルでは、戦略を先に固定して考えていたが、この節でのみ、どの個室に入るのが安全なのかその場その場で考えているかのような語り方をする