大人の本を読むべき時

中学校に入学した時、まあまあ立派な図書館があり、その蔵書数とラインナップに興奮して、「ついに『大人の本』を読むべき時が来た」と思ったが、(周りの人の神童エピソードを聞くと、大抵小学校の頃から難しい本を読んでいるので恥ずかしくなるのだが)自分は最大(難易度)でもティーンエイジャー向けの本までしか読んではいけないものかと小学生の時までは強く信じていたので、そうして「これがあなたが読むべき本ですよ」と明らかに利用可能な図書館という形で自分の前に示されるまでは、「子ども向け」の本しか読んではダメかと勝手に思い込んでいた*1

そのような殻を破る体験の直前までの自己規制は、ある意味では、*2自分の可能性を狭めているのであり悪しきアンシャンレジームであり成長を阻害する「四角いスイカの枠」であったとは言えるかもしれないが、ブレークスルーの体験と感覚自体は成長の表れでそれ自体好ましいものであることは間違いない

*3

前置きが長くなったが、昨今英語の勉強をがんばっており、その結果として、ついに"vet"をunabbreviateして"veterinarian"にする日が来たと思う。

語彙でも「自分のレベルはこれくらい」というのがあると思うが、linguistic weaning ageが到来して難しい単語を口にし始めてもいい気がしてきたのだ。

*1:似たような体験として、高3のときにone point双書の『イプシロン-デルタ」で、学部の時にShoenfieldの"Mathematical Logic"で、「大人向けの本が読める」ことが分かったことがある(なお、次のそのような体験に向けて準備中)

*2:死に際のアカギが原田に諭したように

*3:That said, 体感では成長が早い人というのはあまり自己規制せず色々やる人であるのだろうなとは思うので、性根は変えられなくとも多少意識的に枠を広げて行きたい