なぜ留学なのか

前前及び前エントリに書いたように、イギリスでなんだかんだ不便な思いをすることも多い。
一応理論的な反論を前エントリのとおり用意しているものの、なんだかんだ「なんでこんな不便な思いを…」と思うこともしばしばではある。
不意に、「日本で暮らしていたあの日々は幸せだった」と思え、すべてが完璧だったかのようにも思え、「なぜあの日々を捨ててまでここに来ているのか」という思いになることもある。
あの、近所のスーパーに気軽な気持ちで行けて、仮に夜遅くでも何の気兼ねもなく行けて、コンビニは(その名のとおり)便利でなんでも揃い、おいしい味噌や白だし(←多用)やお米は簡単に手に入り、町は清潔で民度は高く危険を感じる機会はなく、安くで美味しい食事が食べられて(特に寿司とか)、時には少しいいものも食べられて、友達や家族もいていつでも会えて…と。

究極的には、生きている限り全ては移り変わっていくものだから、今の世界をembraceして愛して、surviveするしかない、というのが答えになろう。
留学しなくても、あの日々は永遠ではないのだから。切ないけど。

究極的な答えは究極的だが日々の実践には役立たないことも多いので、もう少し体感に引きつけたことを言うならば、何かもっと素晴らしいことがしたくて、ここに来ているのではある。
「もっと素晴らしいことができる」と思えるのだから、当然あの日々も「完璧」ではないのである。子どもが生まれる以前のことが遠い過去に感じるが、ここ半年の暮らしは、育休という一時的で2度は使えない権利によるものだし、それ以前は労働環境でひいひい言っていたわけだし。
ただ消極的な側面もあって、明らかに自分は、大学・大学院時代の気がかりを取り戻そうと思って今(分野は違うが)留学している感もある。この「江戸の敵を長崎で討つ」的な方向性の定まらなさはちょっと危ういと自分でも思っている…が、授業が始まってしまえば必死で食らいつくだけかなぁ〜

何にせよ、不便なことを我慢してもいいよね、と思えるだけの何かを掴み取る必要があると思うし、そのことは直接(たまたま)就学できる自分だけではなく、広い意味では家族にもそう思ってもらえなければならないと思っている。


まぁ相変わらず人として軸がぶれておりもやっとした日記だが、そんな感じで…