On Literality

数学のセミナーにおける「何でそれ成立するんですか」「それ本当に自明ですか?」「何がうれしいんですか」「どこか詰まってるところがありますか?」「すみません、私が理解できてないだけなんですけど…」等々の、
一般社会で飛び出したら要は「お前の説明はダメだ/お前はバカだ」の婉曲表現として捉えられてしまうような発言は、
数学の世界では字義通りの意味でしかなく、単に参加者全員の利益のために善意で尋ねているものであり、人格攻撃の意図は全くなく、セミナー終わったらノーサイドとなるものであるものと僕は了解しているし、それが数学界の美風だと信じている。
(もちろんそれはそれとして準備や基礎知識に不安があることがその過程で判明した場合はそれ相応の指導が別途行われるということはありうべきことではあるが)
人間なので心のうちはいざ知らず、少なくとも建前としてはそれを堅持すべき。
そうでなければ、健全でなくなってしまう。

であるからして、
「成立するんですか?」→した
「自明ですか?」→自明だった
「私が理解できてないだけなんですが…」→私が理解できてないだけだった
等々、当該指摘が「空振り」に終わったときに、指摘をしてしまったこと自体に気まずさを感じるのは、上記の公式見解と整合しない立場だと思う。

だって「空振りだと恥ずかしい」と思うということは、「自明ですか?」は「自明じゃないでしょう」という指摘として発言しているということになる。
しかし「自明じゃないでしょう」という指摘を「自明ですか?」というニュートラルな疑問文の形で投げることは上記の「率直さの原則」に反しているように僕には感じられる。
というのは、
含みなし・婉曲なし・裏の意味なし
と信じるからこそ、そのままの意味で質問を受けとって、「ああ、自明であることを説明しなければ」「本当に成立するだろうか?」と虚心坦懐に思考することができるのであり、
そこに少しでも「この人は『自明じゃないでしょう』という指摘を『自明ですか?』という婉曲的な疑問文として表現するんだ」という疑いを挟む余地ができてしまうと、途端にそれ以降の全ての発言が「ああ、こう言っているけど本当は『全然違うわボケ』と言っているんだ」とか疑えてしまい、特に弱い立場の学生はそれでかなりの心的ストレスを抱えてしまうことになりかねない。

標語的に言えば、
All literal.(全ては字義通り)
Always candid to the full extent.(常に、最大限の正直さで)
を堅持すべきで、
それはzero torelanceで臨むべき。
少しでも「匂わせ」てしまったら、人によっては地獄に感じられてしまう。

(僕は能天気なのかそういうストレスを感じたことはほぼないが)