カウンタースペルに何のスペルを打つか

メモ。

新兵パラディン、メイジのカウンタースペルに対しdivine favorよりも新兵5体召喚を打った方がいいケースもある。

というのは、新兵5体召喚はカウンタースペルなくとも、どうせAoEでバリュー取られる可能性のあるリスクあるスペルであり、また、新兵5体揃えること自体は他の手段を用いても達成できる可能性がある(元来存在するリスク+代替可能性)。

一方、3枚以上のドローはかなりバリューが大きい(単純に考えても4枚ドローのローグスペルは7マナ)。また、手札が少ない時のドローはその後数ターンのムーブの強さをも決めるから、そのバリューは計り知れないものがある。

標語的な言い方をすると、ゲーム中盤以降で、divine favorは「絶対」に打ち消されてはならない「必須」のスペルである。

 

ということで、カウンタースペルに打ち消させるスペルを考慮する際はスペルの額面価値にとらわれてはいけない。

20180313

DMM英会話、2日連続で2回やったあと数日途絶えていたので、2日坊主になったらどうしようと思っていたが、4日の沈黙を破って3回目できたのでよかった。
下手に時間がたくさんあると「もっと有効な時間の使い方があるのでは」と思ってしまって英会話に手が伸びず、かえって時間がないときのほうが「30分を確実に何か多少なりとも実のあることに使える」とスナック感覚で求めてしまうのであった。
毎回着実に慣れていって現有英語力をより活用できるようになっているのを感じるが、慣れによる会話力の向上が終わったときに成長できるのだろうかという恐怖がある。
ま、(教えてもらっておいて失礼ながら)コミュニケーションの技術なんてそんな大したもんじゃないから気楽に考えればいいや〜

20180305

お仕事をし始めて1年も経ってないので、全くそうすべきではないかもしれないけれども、ここ1週間くらいの僕はそうすべきだと考えている仕事の進め方の一つ。(将棋で言えば中飛車で両方の桂馬跳ねて53に殺到すればよくね?的な意見)

複数やるべきことがあるときに、どれかに無駄に時間をかけすぎてしまって他が詰むということがないように、全ての仕事に対し初夜権を行使してちょっとずつ手をつける。

中身は何も書かなくてもいいから、エディタでまずファイルを作成する、というのと同様のことですね。
そうするとそれぞれのタスクがどういうものなのか見えてくるので、優先順位もつけやすくなるし、全部を進めるイメージが作れる。

はい。



帰宅してから自由時間が2時間もある!それって永遠のことですか!と思って、オンライン英会話どれにしようかな〜とか考えていたが、「フレンドリーな外国人(ダゲレオタイプ)と会話とか怖っ」と思い始めたら2時間終わっていた。
動画の購入履歴を講師に見られないという確信を抱くに至ったら、DMM英会話にしよっかな。

(辞表を書きながら)って最後に書くのはくせになりそうなのでやめておきます。

無能について

名門大学の理学系の学科を卒業した君は、社会に出てお金を稼ぐということに忌避感を覚えているかもしれないし、働いたら負けかなと思っているかもしれないし、研究者になれなければ意味がないと思っているかもしれない。
自分には労働は向いていないかもしれないと思っているかもしれない。
実際、ある種の能力にスキルポイントを振りすぎている君のスキルセットは、いくつかの仕事にはあまり向いていないだろう。
仕事によっては、クビにならないギリギリのラインを維持するのがやっとかもしれない。
私も人生経験が浅いもので、「大丈夫、滅多なことではクビにはならない」とは確言しかねる。
就活で盛りすぎて(?)向いてない仕事につけば、君はたちまち無能扱いされるだろう。

ただ、これだけは自信を持って言える:大丈夫、世の中無能ばっかりだから。
どんなに小さな*1失敗を重ねてきたといったって、どんなに自虐したって、客観的に見れば学業において成功につぐ成功を重ねてきた君からすればびっくりするほどの無能がいけしゃあしゃあと新入社員の君の何倍もの給与をもらって幸せな人生を送っている。
だから、おびただしい数の無能の列の末尾に自分をおずおずと追加することに対し、何も恥じたり恐れたりする必要はない。むしろ通常の無能に比べればよっぽどマシである。
むろん親や友人や良識ある大人からこういうふう(「いやいや全然君も捨てたもんじゃないでしょ」)に自分からすれば何とも思っていない部分をほめられても、プライドも理想も高い君はうれしくもなんともないわけだが、いざ無能の列に自分を加える段になると途端に、無能の中でも捨てたもんじゃない無能だということが大変ありがたく思えてくることもある。
まぁそうは言っても捨てたもんじゃない無能だというのはせいぜい慰めでしかなく本当は無能の名を返上するのが一番なのだが、私が強調したいのは、世間の基準はデフォルトが無能なので、無能からのスタートはそれはそれは大変結構な上々のものであるということだ。

それに、君が無能の名に甘んじていても、情熱を注いだものは、決して君を離しはしない。だから、結局君はただの無能にはなれない。(というか君が曲がりなりにも修めた学問は本来そのようなuniversality(というかubiquity?)を持っているはずだ)

だから生きよう。

(平成30年2月 辞表を書きながら)

*1:君の失敗なんてどう考えても「小さな」としか言いようがない!

真善美

スーツをハンガーにかけるときは(うちの近傍で手に入るハンガーだけがそうなのかもしれず、それがハンガーの普遍的な性質なのかどうか一切自信がないのだが)ズボン→ジャケットの順番でかける必要があるのだが、脱ぐ順番は逆なので、ズボンを脱ぐまでの間ジャケットをそのへんに放り投げて放置するという手順を踏んでいたのだが、今日帰宅したときに別のハンガーにジャケットをいったんかけておくというハノイの塔みたいな解決策を思いつき、「自分は頭よすぎる…」と感動していたところ、1.5組のスーツの重みに耐えかねてハンガーが落下し、いつもならもうここで何もかも嫌になってすべてを放置してしまうところをぐっと我慢してハンガーを掛け直していたところ、またしても天啓下り「こうやって何事もすぐ投げ出さずに根気よく取り組めばできないことは何もないのでは?」ということに気づいてしまって、短い間に2つもいいアイディアを思いついて、実に生きる喜びを味わえたのであった。

やはりアイディアこそ生きる喜びだと思う。あ、あと愛。

ツイート

この列島に1億人住んでるのにこの孤独感は凄い。もう6年間くらい声帯を使ってない気がする。

エマ・ワトソンの演説に関して・雑感

www.unwomen.org

確かにエマ・ワトソンのご立派な演説(と彼女の恋愛遍歴)はどのモテない男性も救わないが、そもそも救われようなんていう考えが甘えている。
よしんば誰かが救うとしても、エマ・ワトソンは救わないでしょうよ*1
たしかに、性的魅力に乏しかったり社会的に弱かったりする人は損をしたりするだろう。
それはもうしょうがない。
ある種のホモ属のサルがあるひとつのやり方で互いに助け合ったりそうじゃなかったりして生きているところに、一部のグループのやり方を強制するのは難しい*2
望みうるのは、たかだか、自分の周り10cmもしくは君のその狭い頭蓋の中をほんの少し変えることだけ。
そもそも、エマ・ワトソンはハリウッド女優として無難な考えを述べただけで、これは大した演説じゃないが、それでもモテない男性にとっては悪くてニュートラル、むしろ助けになるようなものの見方を提供していると思うけど。

ただ、若い女子に好かれなくてもいいんじゃない、恋愛にこだわらなくてもいい、ということもまたエマ・ワトソンのメッセージに含まれるのだという意見には首肯しかねる。
若い女子かどうかはさておき、誰からも好かれないよりは誰かから好かれたほうがいいに決まってる、特に性的な意味で。
語気を強めるために*3「決まってる」って言ったけど、むろん規範的にそう述べてるわけじゃなく
別に好かれなくてもいいと思ってる人がいることも承知するが、僕は好かれたいし多くの人は*4好かれたいと思っている(ように見える)。
そして、エマ・ワトソンもまた、この演説で恋愛にこだわらず生きようとは特に言っていないし、多くの人に受け入れられている(人から愛されることはよいという)考えを否定してもいないと思う。
エマ・ワトソンは誰かから性的に選ばれなくてもいいって言ってるんだから〜」ってのは自分の考えを他人の演説に読み込みすぎ。

この辺でいったんもうエマ・ワトソンの演説からは離れる*5
愛されることにこだわらなくてもいいなどという誰も信じてはいないし何の慰めにもアドバイスにもならないクソみたいな空なる観念はほんと腹立ちますね。
「恋愛できなくてかわいそうな人をバシバシ棒で叩くのはやめなさい」というのはそれはその通りで私としてもぜひ強く主張したいのだが、だからと言って恋愛しなくてもまったく問題ないということではなく*6、やっぱり恋愛したことない私や君はかわいそう。誰からも*7愛されたことがないなんてかわいそう。
いや、最近は恋愛とかそういうアディショナルな人生の楽しみ、人生のオプショナルツアーじゃなくて、ふっつーに人間としてかわいそう、人格が幼稚・貧相という感じになってきつつあるが、そっちは別に私としては構わないので、やはり恋愛を強調したい。
他のあらゆる分野と同様、環境と自分自身の持って生まれたものと努力とあらゆる要因が絡み合った結果としてだが結果的に恋愛できた人がうらやましすぎて死にたい。
いや、今まであまり人を見たことがなかったので、当然ながら恋人がいる人というのも見たことがなかったのだが、最近人を見かけるようになってきて、恋人がいる人というのも観測できるようになった(というか僕が恋人がいる人というのを見たことがないなどと悠長なことを言っている間にみんないろいろやってたみたいで、既婚者もちらほらいるのだが)のでそういう人たちを見ていると、もう人生の充実度が違いすぎる。
普通に生きる意味を与えられるのと与えられないのとくらい違う。
聖書があるのとないのとくらい違う。(ものの例えです。私は信者ではない)
別に私は恋愛経験がない代わりに何かを得ているわけでもなく、そっち方面以外でも貧弱な人生しか歩んでおらず、とにかく人生に何もない、10年前のこのブログには今思えば若さだけはあったが、今は何も得なかった割に若さもないので普通に終わってるのだが、だからと言ってルサンチマンに陥らずに(いや十分陥っているのだが、そこそこの程度に抑えて)地道にがんばるしかない。
そのためにはブログで夜更かししてる場合ではない。
はーあ、(0時からカウントするとすれば)一日の始まりからして遅れを取っとるわ。

結局自分語りか〜い。
ブログだから許されちゃうもんね〜
いやーブログって仕事や女の子とのランチより楽だわ。

あと、最後にエマ・ワトソンの演説の話に戻るが、この演説に関して、自分たちモテない男性の方に引きつけてしか意見が言えないのは視野が狭すぎる。女性のことも少しは考えろ*8

ほんととっちらかってて読みづらいな、僕の文章は。

*1:特に他意はない、と思っていただくことも可能。

*2:不可能だというわけではない。

*3:to be seen as masculine?

*4:自分を好いて欲しい種類の人間から

*5:し、深夜でさっさと寝たいのになかなか書き終わらないから筆致は乱れる

*6:誰かがそれを持ってないからと言っていじめることは許されないが一般的に言えば持ってる人のほうが幸せな傾向があるというのはお金と同じ

*7:性的に、ということ。親や友人の名誉のためにこの注釈は必要だと思うが

*8:自戒も込めて