草野さんの「人間宣言」

https://news.livedoor.com/lite/article_detail/25120963/

ついテレビの「中の人」は箱の中の小人*1、内面を持たないキャラクターであって、我々と同じように悩み、疲れる人間ではないかのように感じ、番組は永遠に続くかのような錯覚を抱いてしまう。
しかし20歳を過ぎた(いや、もっと遅かったかも。29歳で働き始めてからとか)ある日、「タモさんは何週間も海外に行ったりできなかったんだ」と気づいたときは慄然とした。
笑っていいとも!」のために、タモリさんはどれだけ自由を犠牲にしてきたのだろう。自由が好きそうな人なのに…

この『世界ふしぎ発見!』のお馴染みの面々もなんとなくいつまでも変わらない(1人途中から出なくなられたが)感じがあったところ、青天の霹靂のような終了宣言とともに草野さんから「天職であった」とまでの発言が飛び出した。これまたタモリさん以来ハッとさせられた。

草野さんや黒柳さんや竹内さん、スタッフの方々は、この、視聴者からすれば1週間のほんのひとときの楽しみでしかないこの番組に自らの人生を賭けて臨んでおられたのだ。
これに人生を賭け、その過程では何かを犠牲にしたかもしれないけれども、良質な番組を届けるために専心され、実際そのような素晴らしい番組であり続けたと思う。この草野さんの「人間宣言」に際し、自分は消極的なファンにすぎなかったかもしれないが草野さんらに感謝の思いを抱くと同時に、同じ等身大の人間として尊敬の念が湧いてくるところである。

僕も今となっては別に人並みだと思うが、小さい頃は「よくものを知っているね」と褒められることがしばしばあった。
しかしそのときに僕はよく、「いやこの知識、この前『世界ふしぎ発見!』でもやってたし、テレビとかでも何度も取り上げられてるじゃん?それを漫然と見ているだけでもこのくらいの知識は君にも得られたのではないかな」と生意気なことを思っていた。

しかしそのような「これ見とけばだいたい良質な情報が得られるっしょ」という番組でなおかつ見ていて面白い番組は、他には簡単には思いつかないところであり(たとえば「諸説」でまとめる『チコちゃんに叱られる!』より丁寧だと感じる)、「『世界ふしぎ発見!』でもやってたし」などとはとんでもない話で、『世界ふしぎ発見!』というありがたい質の高い教養番組によってこそ、多くのことを学ばせてもらったのであろうと感謝の思いが湧いてくる。

*1:このテレビを「箱」と表現するクリシェももうそろそろ賞味期限切れか。実際子どもの頃既に箱ではなかった。しかし真面目に考えると、「中に人がいる」ことを想定するためには、仮に90年台のブラウン管くらいの厚さであったとしても「箱」と表現するモチベーションがあったかもしれない。「板の中」というコロケーションはなんとなく据わりが悪い。

On Literality

数学のセミナーにおける「何でそれ成立するんですか」「それ本当に自明ですか?」「何がうれしいんですか」「どこか詰まってるところがありますか?」「すみません、私が理解できてないだけなんですけど…」等々の、
一般社会で飛び出したら要は「お前の説明はダメだ/お前はバカだ」の婉曲表現として捉えられてしまうような発言は、
数学の世界では字義通りの意味でしかなく、単に参加者全員の利益のために善意で尋ねているものであり、人格攻撃の意図は全くなく、セミナー終わったらノーサイドとなるものであるものと僕は了解しているし、それが数学界の美風だと信じている。
(もちろんそれはそれとして準備や基礎知識に不安があることがその過程で判明した場合はそれ相応の指導が別途行われるということはありうべきことではあるが)
人間なので心のうちはいざ知らず、少なくとも建前としてはそれを堅持すべき。
そうでなければ、健全でなくなってしまう。

であるからして、
「成立するんですか?」→した
「自明ですか?」→自明だった
「私が理解できてないだけなんですが…」→私が理解できてないだけだった
等々、当該指摘が「空振り」に終わったときに、指摘をしてしまったこと自体に気まずさを感じるのは、上記の公式見解と整合しない立場だと思う。

だって「空振りだと恥ずかしい」と思うということは、「自明ですか?」は「自明じゃないでしょう」という指摘として発言しているということになる。
しかし「自明じゃないでしょう」という指摘を「自明ですか?」というニュートラルな疑問文の形で投げることは上記の「率直さの原則」に反しているように僕には感じられる。
というのは、
含みなし・婉曲なし・裏の意味なし
と信じるからこそ、そのままの意味で質問を受けとって、「ああ、自明であることを説明しなければ」「本当に成立するだろうか?」と虚心坦懐に思考することができるのであり、
そこに少しでも「この人は『自明じゃないでしょう』という指摘を『自明ですか?』という婉曲的な疑問文として表現するんだ」という疑いを挟む余地ができてしまうと、途端にそれ以降の全ての発言が「ああ、こう言っているけど本当は『全然違うわボケ』と言っているんだ」とか疑えてしまい、特に弱い立場の学生はそれでかなりの心的ストレスを抱えてしまうことになりかねない。

標語的に言えば、
All literal.(全ては字義通り)
Always candid to the full extent.(常に、最大限の正直さで)
を堅持すべきで、
それはzero torelanceで臨むべき。
少しでも「匂わせ」てしまったら、人によっては地獄に感じられてしまう。

(僕は能天気なのかそういうストレスを感じたことはほぼないが)

イギリスで携帯電話を契約した顛末

大した顛末ではないが、個人的には色々面白かったことと、誰かの役に立つ可能性もあることから、記録として残しておく。

要約

最初は空港の自販機で
EEの100GB 40ポンド 1ヶ月間(その他国内通話・テキスト無制限など付帯)
の(プリペイドSIMカードを購入。
これで電話番号も得られる。
iPhoneは日本であらかじめSIMロックを解除(←キャリアに連絡してオンラインで完結)してある)

3週間くらい過ぎた頃、当該電話番号にEEから月額契約への変更を勧める電話がかかってくる。
悪くない条件だったので契約。支払いは現地口座(自分の場合monzo)から毎月引き落とし(direct debit)。
月25GB、国内通話・テキスト無制限で月額〇〇ポンドの2年契約。
値段は相当お安かったが、全員に適用される条件ではないかもしれないので、念のため伏せておく。

プリペイドで毎月必要な分だけ買っていく(top-upという)ことも可能だけど、
月額契約だとまとめて契約する必要がある代わりにお安く済む、ただし現地銀行口座が必要、という感じなのかな?
事実認識間違っていたらごめんなさい。
自分がした契約のことしか知らないので、イギリス携帯契約事情に関しては他の情報源を参照していただきたい。

教訓

・お得なオファーは逃さずゲットしよう。
・おかしいと思ったらクレームは入れよう。
・契約書やスタッフとのやりとりはスクショでもなんでも、ちゃんと保存しよう。
・店員さんやスタッフと雑談したりして仲よくしよう。

上記に至る経緯をだらだら

空港にて

空港に降り立った瞬間に、空港の手荷物受取所にある自動販売機でEEのSIMカードを買う。
やはり現代人として一瞬であってもオフラインに放り出されるのは不安ですから。
EEにした理由は、飛行機で前の席に座っていたイギリス人と日本人と思しき人たちの会話で、「携帯キャリア?詳しくないけど、自分はEEにしてるよ!」とイギリス人が言っていたから。
100GBで40ポンド。
100GBもあれば2,3ヶ月持つかな〜と思ってこれにしたが、後でよくよく読むと30日限りのデータ量だった…
自動販売機だと詳しい条件を見られないので注意。ちゃんと先に進むと有人の販売所もある。
人生何事もそうだが焦って決断するとよくないので、最初に目についたSIM販売所を親だと思ってインプリンティングされて脊髄反射で買うのはやめよう!

月額契約に

その後3週間が過ぎ、「現地銀行口座もできたしそろそろ月額契約に買えるかな〜」などとぼんやり思いつつも特に何もしていなかった矢先、携帯電話に着信が。
出てみると携帯キャリア(EE)の人が、月額契約に変えませんか?というオファーの電話だった。
自分はまだリスニング力に不安があり、一部聞き取れていない部分もあるが、なんとか色々会話。
(最初に"I'm not very good at English, so could you speak a bit slowly?"と言っておいたら、ある程度ゆっくり喋ってくれた。(←それでも一部は聞き取れず))

詐欺か?という不安も抱えつつも、「まぁクレカ番号を聞かれたらその時点で警戒すればいいか〜」という感じで応対。
正直日本だったら、「何か情報があったらメールに送っといてください、それを見て適当に判断します!」とガチャ切りするところだが、この電話口でしか出てこないオファーがあるかもしれないので、聞いていくことにした。(←結局それでよかった)

途中、SMS(テキスト)で送られてきたリンクを通じて、画面共有セッションなどで契約書など読まされる。
念のため契約書をダウンロードしておく。
冒頭の「要約」に書いたとおり、結構お安いいいプランなので契約することに。

おそらくそういうマニュアルになっているから、ということもあるのだろうが、
事務作業を待っている間、向こうから話しかけてきてくれて雑談に。
もちろん社交辞令もあるだろうが、イギリスに来てから色んな人とする雑談で、「日本から来ました」というと、たいがいみんな日本好きだと言ってくれるし、「日本に行ったことあるよ!」という話も割りと頻繁に出てくる。
ありがたい限りで、自分もイギリスの日々の暮らしで周りの人に親切にするとか恩返しすると同時に、仮に社交辞令でも「あなたの国のここが好きだよ」とか言えるべきなので、いろんな国のことを知らなければと思わされる。

そうこうしているうちに契約終わり。

契約違うか?

念のために契約書送るね〜と言っていたので、メールに送られてきた契約の確認書類を見ると
「5GB 20ポンド」プラン
となっており愕然。
ん?25GB〇〇ポンドと全然違うじゃん!

しかし、先程画面共有セッションでダウンロードしていた契約書(←これと、メールに送られてきた確認書類と、どちらが正式な書類なのかはよくわからないが)を見ると、たしかに「25GB〇〇ポンド」となっている。
ダウンロードしといてよかった。

さっそくヘルプデスク的なところでクレームを入れる。
昨今の企業にありがちなように、メールアドレスはなく、チャットでのやりとり。

(wai)すまん、契約全然違うんだが?
(staff)そうなん?こっちの記録でも5GBってなってるけど?
(wai)いや、ダウンロードした契約書あるんよ。
(staff)じゃあそのスクショ送ってくれる?メールアドレスはこちらで。

eeとは何の関係もないドメインの、スタッフの個人メアドっぽい雰囲気のアドレスを貼られる。
ゆるいなぁ。

(staff)確かに25GBって書いてあるね。じゃ、20GB追加しとくわ〜ポチポチッとな♪
(wai)すまん、個人アカウントの情報見るとまだ反映されてないんだけど、本当に反映されるんよね?(不安)
(staff)for sure追加されますので!(やや怒)ほならね〜

という感じのやりとり。
プランの変更とかじゃなくて、データ量の追加とかでいいんか?
しかもこのやりとり全体がチャットでのやりとりだから書面とか残ってないけど…ええんか?

結論

色々心配したが、翌日にはちゃんと25GBになっていた。

そして色々眺めていて分かったのだが、
ベースのプラン自体は「5GB 20ポンド」で、それにadd-onという形で特約が色々つく形のようだった。
自分の特約は、
・月20GBデータ量追加
・月◯ポンド割引
・月30%割引
EU圏のローミングは日額2.29ポンド
Wi-Fi coverage boost*1
となっていた。

たぶんこの特約としてデータ量を追加したり割引したりする形式は、(クレーム対応としての臨時的な対応ではなく)テレアポの時点で意図されていたものだと思われる。
というのは、月◯ポンド割引と月30%割引を含めることで月〇〇ポンドという電話で聞かされた料金と一致するから。
つまり、電話であったオファーは、こういう特約込みのオファーだと思われる。
確かに、メールで届いた契約の確認書類にも、1個目のデータ量追加以外の4条件については記載されていた。
(しかし、今見返しても月20GB追加の特約はメールには記載されていないので、これを含めていなかったのはやはり先方のミスであったと思われる。)

おそらく、「こういう条件です」とプランの正規の条件としてwebサイトなどに公開したものだけでキチッとやるよりも、現場の判断で色々特約をつけたりなんたりで調整するやり方なのだろうなと。
その方が臨機応変に対応できたりする利点があるのだろうと。

まぁそれならそれでいいけど、その特約を本当はちゃんと正式な契約書として書き下したものが欲しいけどね。
いやEE的にはそうするつもりだったのだろう(上記のとおり、メールで送られてきた確認書類には、データ量以外の割引については特約についても記載されていたので)が、データ量に係る特約の漏れがあった件について、クレーム処理の現場の処理の中でちょちょいっと済まされてしまい改めて契約書を発行し直していないから、将来なにかの拍子にデータ量が5GBに減らされたとしても、「いや契約書にそうあるでしょ」と言われてしまうのが少し怖い。

まぁでもそんなものかな〜と思ってとりあえずこの件は一件落着。

上の「教訓」にも書いたが、「あれ?なんかサービスが事前に言ってたのと違うぞ?」ってことはイギリスでは日本よりも高頻度で起きるっぽいから、堂々とクレームしていくことが大事と思われる。
別に向こうもそれを自然なことと捉えているので、「うるさいクレーマーだと思われたらどうしよう」などと気にしない。
たいがい親切に対応してもらえる。

TOEICあるある」みたいなやつで、「TOEIC世界、遅延やキャンセル、トラブル起こりすぎ〜」というネタがあるけど、それは日本の高品質のサービスを当たり前と思っているからそう思うのであって、あれは現実に即した舞台設定であったし、またそういうときこそ英語でコミュニケーションが求められるので、練習の題材としても適切なものであったのだな、と今更ながら思うなど(TOEICの勉強したことないが…)。

*1:なんか地下鉄(tube)の中でWi-Fiがつながったりするようになる?かもしれない。確かに繋がった気もするが割りと不安定な印象。

20230925

しばらく日記をサボっていたのであった。
まず急速にロンドン暮らしが「日常」と化す中で「観光」的なムーブをしなくなったのが一つあり、また、
大学がいよいよ始まる中で生活を整えねば&勉強しなければ…と思いつつ面倒なので日々ダラダラと過ごし食事に関してもなんとなく手を抜いてしまったり、そんな日々がありつつ色々祟ってか下痢をしてしまったり、
そんなこんなで寮についてからの1週間があっという間に過ぎてしまったのであった…
少しは進展もあった:
・玄関マット、食器乾燥棚、食器類、Tea Towel(ふきん)、はさみ等々を買った。
・ネット銀行の口座を開設し、普通の銀行口座も申し込んだ。
・TfL(ロンドン公共交通)の定期券を申し込んだ。学生は3割引となる。届くのが楽しみ。
まぁ1日・1週のキャップ制があるので、定期がなくてもあまり気にせず実質乗り放題と思えるが、
更に安いので移動がより自由になる。
地味で自明な問題だが、キャップ制だと、キャップを余裕で超す場合は乗り放題ということになるが、
キャップに届かない場合は普通に乗らなければその分節約できてしまうため、その場合は乗り放題とならない。
(例えばZone1-3の場合1週間(月〜日)のキャップは£47.9だが、土曜日の時点で£35しか使っていなかったとすると、
日曜は£9使うか£6使うか選択しうる場合は、どちらを選ぶかで£3の差が生じてしまう。
このため「節約のために移動を控えるか…」と経済的問題により心の自由さが奪われて嫌な感じになってしまう。
実際問題、大学と家の往復だけだと
・Pret a mangerのサブスクに申し込んだ。
1ヶ月£30(初月のみ£15)で、1日5杯まで飲み物を無料でもらえ、かつ食べ物は20%オフとなる。
1日1杯飲むなら1日1ポンドで安い。食べ物もちょっとしたものを食べるのに便利。
自分はサラダを買ったりしている。結構おいしいので、野菜を気軽にとれてよい。
まぁ格安スーパーのLidlで買って公園や大学ででも食う方が安上がりだが……
・図書館の使い方を理解して割りと入り浸った。

そうこうしているうちに今週から大学が始まった。
学部全体のイントロダクションのあと、ウェルカムパーティ的なものがあったが、周りと話すだけの自信やバイタリティがなく一人でピザだけ食って図書館で勉強して帰ってしまった。
開封してからしばらく経つので慌てて豆腐を食らう。
夜中に、「どうせ大したことできなくてもよいのだ」と思いつき、気が楽になる。

20230919の晩ごはん


適当ですが。

・ラムローガンジョシュ(Tesco
・カリフラワーのチーズ焼き(Sainsbury's)
・スープ(リーク、にんじん、玉ねぎ)
・トマト
・パプリカをオーブンで焼いたの
・ズッキーニ(イギリスではcougette)を炒めたの

脂質が多すぎですみません。何でもかんでもスープに入れるのも芸がないかと思い炒めてしまった。
メインをready mealにしているからある程度しょうがない面もあり。暖かく見守ってや〜

有楽町のひつじやで食べたマトンローガンジョシュはめちゃくちゃ辛くまた透明な油が浮いてて油あぶらしていたが、全く辛くないし油感も少なく全く別物だった。これがインド人の友だちが言ってた「ロンドンのインド料理はロンドナイズされてる」ってことか(ひつじやの解釈もインド流かは不明)。唐辛子と一緒に食べることで解決。

カリフラワーのチーズ焼きは、以前食べたコッテージパイとかと並んでイギリスの家庭料理シリーズかと思うのだが、どちらも普通に美味しかった。
やはりオーブンは正義。
TescoやM&Sなど、スーパーが適宜おいしくアレンジしてくれてるのかもしれない。ありがとー。

パプリカをオーブンで焼いたやつ、これ日本でも魚焼きグリルで焼いたのを食べてたが、より甘くてとろけて最高だった。

ズッキーニの炒めも適当に作ったにしては美味。

今日も全ておいしくいただけました。感謝。

なぜ留学なのか

前前及び前エントリに書いたように、イギリスでなんだかんだ不便な思いをすることも多い。
一応理論的な反論を前エントリのとおり用意しているものの、なんだかんだ「なんでこんな不便な思いを…」と思うこともしばしばではある。
不意に、「日本で暮らしていたあの日々は幸せだった」と思え、すべてが完璧だったかのようにも思え、「なぜあの日々を捨ててまでここに来ているのか」という思いになることもある。
あの、近所のスーパーに気軽な気持ちで行けて、仮に夜遅くでも何の気兼ねもなく行けて、コンビニは(その名のとおり)便利でなんでも揃い、おいしい味噌や白だし(←多用)やお米は簡単に手に入り、町は清潔で民度は高く危険を感じる機会はなく、安くで美味しい食事が食べられて(特に寿司とか)、時には少しいいものも食べられて、友達や家族もいていつでも会えて…と。

究極的には、生きている限り全ては移り変わっていくものだから、今の世界をembraceして愛して、surviveするしかない、というのが答えになろう。
留学しなくても、あの日々は永遠ではないのだから。切ないけど。

究極的な答えは究極的だが日々の実践には役立たないことも多いので、もう少し体感に引きつけたことを言うならば、何かもっと素晴らしいことがしたくて、ここに来ているのではある。
「もっと素晴らしいことができる」と思えるのだから、当然あの日々も「完璧」ではないのである。子どもが生まれる以前のことが遠い過去に感じるが、ここ半年の暮らしは、育休という一時的で2度は使えない権利によるものだし、それ以前は労働環境でひいひい言っていたわけだし。
ただ消極的な側面もあって、明らかに自分は、大学・大学院時代の気がかりを取り戻そうと思って今(分野は違うが)留学している感もある。この「江戸の敵を長崎で討つ」的な方向性の定まらなさはちょっと危ういと自分でも思っている…が、授業が始まってしまえば必死で食らいつくだけかなぁ〜

何にせよ、不便なことを我慢してもいいよね、と思えるだけの何かを掴み取る必要があると思うし、そのことは直接(たまたま)就学できる自分だけではなく、広い意味では家族にもそう思ってもらえなければならないと思っている。


まぁ相変わらず人として軸がぶれておりもやっとした日記だが、そんな感じで…

不便さについて感じること

前のエントリで、不便に感じていることといいと思っていることについて述べたが、やっぱり消費者として暮らす、という点では不便に感じることの方が圧倒的に多いわけです。
これは単に自分がイギリスの流儀に慣れていないというだけではなく、日本の方が客観的に便利で整備されていることも多いのだろうとも思い、時には「世界史の教科書の一番最初にはホモ・サピエンスは創意工夫の能力があったので道具を生み出し、後には文明を生み出したとあったけれど、創意工夫というものを本当にしているのは日本人だけだったかぁ〜」などと傲慢な皮肉が浮かんでくることもあるが、これに対するカウンター言論は一応いくつか脳内に用意してある。

  1. 人間は意外と現状で満足し、特に改良しようと思わないことも多い。

職場でもそう思うことが多いし、自分の私生活を顧みてもそうである。

  1. 日本人とイギリス人で、創意工夫の才を発揮しようと思う場所が違うのかもしれない。

イギリス人はドレッシングの注ぎ口や食料品の包装やコンビニという完成されたシステムの創案にはその創意工夫を発揮せず、別のところでその才能を活かしているのかもしれない。例えばイギリス人(またはスコットランド人)は、自然哲学の数学的諸原理について革命的な考察(a.k.a. Principia)を発表し、蒸気機関を発明し、アルゴリズムという概念に対し1つの重要な定式化(計算モデル)を与えてそのモデルは後の計算機の原型となったが、日本人はこれらのことを成し遂げなかった(色々重要な前提条件をすっ飛ばしているし、現代とそれらの時代とでは背景が異なるが…)。

  1. 日本のサービスの素晴らしいクオリティはブラック労働などにより成し遂げられており、エシカルサステイナブルではないかもしれない。
  2. イギリスではクオリティは価格次第なのかもしれない。一方日本では、最低料金のサービスでも(世界水準では)最高のクオリティが求められ、もしかしたらその弊害が伸び悩む賃金かもしれない。

→経済学的に無知なので、最後は全く見当外れなことを言っているかもしれない。

これらを考慮すると結局まぁなんでもいい面と悪い面があるねということにはなる。